2008年02月28日

camomile Best Audio / 藤田恵美 (2007)

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日本人が日本語訛りで歌い慈しむ英詩曲が、英語マニアを気取る人間による外野のノイズに害されることなく普通に受け入れられる時が近いうちにくるだろうと期待し続けてしばしのこと。

英語っぽい英語を綺麗にこなす日本人アーティストがいくらでも普通に転がっている今、それがネイティブではない日本人が英詩曲に挑む理由をあらためて問うこともできる時期(時間&カタログの蓄積として)に来ているのだろうけれども、少なくとも僕自身のネイティブは間違いなく日本語であり、だからといって英詩上にある文字から発音そして歌唱に至るまでの憧憬とそこに寄せる思いを、発音というレベルでのYes/Noの取捨択一のみで評価されてはたまらんと思うわけで。

完全に私事だけれども、自分自身が経てきた十代後半は日本人による英語圏に対するコンプレックスをいかにして受け入れ、そして自分なりの解決方法を見出すかというところに晒され続けてきたわけで(半ばインターナショナルスクールみたいな高校に後先考えずに入学してしまったので)、ここ数年東北各地の言葉を受け入れる環境に身を置いてみたところ、そのコンプレックスなるものは「訛り」に対するという意味においては背後にある言語は関係なく、言語という枠を超えて共通であると思い始めるようになってきたからであり。日本語環境下におけるこの収穫は、自分自身にとっての大きな収穫になっていることも確か。

さてはて、ネイティブという単語の扱いは私たちが普段考えている以上に細分化した上でナーバスに捉えても大げさではないものだろうし、僕らが普段日本語として意識しているそれですら、厳密なネイティブというのはコミュニティに依存しているということを忘れることなく、そして標準でないところに魅力を見出すこともまた楽しみの一つであるということをぜひとも忘れずにいたいと思ったところであり。

僕自身が思う日本人における英詩曲のカバーの魅力の核は「表現に求められる空気への対応」にあり、その変幻自在な解釈(それはこのファー・イーストな土地が雰囲気への翻訳という意味で)かつ型を理解することの表現力にあると考えるわけで。

ま、そんな面倒な御託はさておき、スピーカで楽しむのであれば思い切りボリュームを上げ、ヘッドホンで楽しむのであれば歌を受け入れられるミニマムぎりぎりのところで楽しむのもまた一興という範囲においてその「atmosphere」に触れている次第であります。

ref.
camomile Best Audio / 藤田恵美 (2007)

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