惚れた。
山崎まさよしの声は誰がどう聴こうともそれ以外の誰のものでもないのに、ここではどうして時折オリジナルのカラーがにじみ出るのだろう。ここでの山崎まさよしの歌唱スタイルに揺らぎはないというのに、原曲の持つ 「鬆」 は用意されている。これがボーカリストとしての余裕なのか?
こんな面白いボーカリストだとは思わなかった。十人十色の山崎まさよし。
アレンジにも手抜きなし。俺的絶品は 「月」。山崎まさよしがこの曲を取り上げてくれたことによって、俺の中で桑田佳祐と吉幾三がつながった。 ジャパニーズオリエンタリズムをベースに曲が作られている以上、「演歌」 と 「ニューミュージック」 に境はないのだな。吉幾三にこの曲をカバーしてもらいたい。
で、こういった良心的なカバーアルバムに遭遇すると 「懐メロ」 という言葉の意味についてついつい考察したくなってくる。
この言葉を受け入れられるか否かは、楽曲と聴き手、その双方の持つスキルの組み合わせ次第なのだな。
例えばこの収録曲からすると、 RC サクセションというのは古めかしい存在=懐メロ扱いになるわけだけれども、このような強い命を吹き込まれ続けることによって曲からは時代の枷が取り払われ、確かに 「今」 へと生き延びていく。その時点で懐メロというカテゴライズから一歩抜け出すわけだ。
そしてその息吹に逢わずして過去の波に心を合わせることによって、曲は個々人における懐メロとなるわけだ。時代は楽曲を束ねることに役立つかもしれないが、楽曲は時代によって束ねられることはないのだな。懐メロという言葉はそういう意味において扱いが難しい。
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以下、つらつらと。
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beauty and harmony / 吉田美和 (1995)
自分の中でいい感じに枯れてきた。 Dreams Come True から遠ざかっていたのは、このアルバムで満足できていたからという側面もあるんだろう。それはすなわち中村正人のアレンジメントが(ふがふふ
自分もそこそこ大人になってきたので、最近のドリカムも受け入れられるようになってきましたが。コンテンポラリサウンドという意味でのオーディオリファレンスであるところのドリカムは相変わらず第一線を突っ走っているわけですが。
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一方、こちらフィッシュさん。これまでのオーディオ趣味人寄りチューニングはすっかり影を潜めまして、まったくもって特徴のない普通の音作りに。クレジットを見る限り、これまでと比較して担当エンジニアが曲ごとにわかれていることと、マスタリングスタジオを変えたことが影響しているんでしょうか。
師匠をして度肝を抜いてもらったこれまでのフィッシュの音源ではありましたが、今回は歌声重視で楽しむことになろうかと。
でも、まぁ、やはり癒される。
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出来不出来やらの甲乙関係なく、コンピレーションものとして純粋に楽しい。未聴の曲がシャッフルプレイで流れてきても、すぐにそれとわかる奥田民生メロディのクセが客観的に浮かび上がるから面白い。
奥田民生の歌声でアルバムを聴ききるのは辛いけれども、こういった集まりであればさらっと聴けるのもよいね。参加アーティストがホームの中で試合をしている分、責任感がそれぞれに漂っているのもまた良し。
しかし TERU の声は殺人的に TERU 色過ぎる。思わず噴いた。いい。
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DELICATE PLANET / access (1994)
15 周年記念アルバム(図)の購入を真剣に考えましたが何か?
エレクトロ業界とかいうところにおいては、中田ヤスタカはまるで神様であるかのように祭り上げられているが、どうして浅倉大介は無視されているんだ? ボーカルが男なのがいけないのか? 小室一派だからいけないのか? お洒落じゃないからいけないのか? ディズニー好きだからいけないのか? 俺がライブを見に行ったことがあるからいけないのか? 雛g(ふが
100V の電気音楽療法。はぁ、癒される。
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電気療法といえば、ドサ回りで荒稼ぎをして歩くあの手の商法が近くのスーパーで堂々と行われていた。客はじいさんばあさん、サクラ込みで30名ほど。敷居も臆面もへったくれもなく、インストラクター役のねえちゃんが電気のよさを大げさに伝えていた。
僕もあれを見習って、電気伝道師の道を究めようと思う。まずは敷居を下げることからはじめよう。そしてもしよろしければアフィリエイトにご協力いただければと。今なら 1 円からお買い求めになれます。