「あなたの示威行為にはもうウンザリ」
そもそもだ。
自らが接した音楽に対して自らの心情を反映させる行為ならまだしも、自分の心情を増幅させるための装置として音楽を利用し、あまつさえそれを Web で公然と吐き出すという行為を何年も続けている俺様である以上、そのような言葉をもらったところで何を今さら感が。
その指摘を受けた数時間前には 「無責任・無自覚・無計画」 と罵られるに加えて、自分の家族に対する批判を受けた日には、もうどうしたらいいか。思わず意識が KAN にまで突き抜けた。 「健全安全好青年」 だ。さらに突き抜けて 「純情愛情過剰に異常」 と小泉今日子の世界にまでも到達した。非暴力不服従。
神様、僕は鬱を隠れ蓑にするしょうもない人間なんですか? ああ、そうだ。鬱ってやつは、怠け者が罹る仮病の一種だったっけ。確かに僕は怠け者だものな。毎朝定時に起きることも出来なくなっているし、真っ当な時間に眠りに就いても、起きるのが夜だったりもするし。夢とうつつの間を行ったり来たりしながらひねもすゴロゴロするのも好きだし。今後の課題は山積みだというのに、そこに全く手をつけようともしないし。挙げ句、アルコールに逃げては大怪我するし。
ふぅ。
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ということで、直近の示威行為である大量音楽摂取の成分について以下にコメントする。示威行為で悪いか、コノヤロウ。おちゃらけているわけではなく、この腹立たしさと自らに対する情けなさへの追い討ちに対するどうしようもなさは本物だ。私から示威行為を奪われたら、私は私ではなくなってしまいます。
私の示威行為とは、これすなわち私の 「無責任・無自覚・無計画」 なアイデンティティから導き出される当然の行動なのです。
しかし眼鏡屋でメガネの調整をしてもらっている最中に 「無責任・無自覚・無計画」 と終始呟いている俺も俺だな。ちょっとサイコ入ってきたかも。逃げるなら今だ! 俺が俺から。
以下(以上も)、シラフで書いています。
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『奥田民生・カバーズ』 でのファーストコンタクト、そのインパクトに期待も比例していたのだが、いかんせん与えられたメロディが普通に弱すぎる。 「未経験」 の素材に対して 「今」 しか与えられない苦しさ。相対的に奥田民生の株が上がってしまうわけだが。
今後、より一層花開く余地があるだろうということは言わずもがな。ま、余計なことを言いたい気分なんだ、今は。
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アコースティックなヤマジがこれほどまでにサイケでエッジ効きまくりだったとは。 『SUNDAY PUFFCE』『CRAWL』 は愛聴盤決定。覆われたセピアに雨が降る一日。
他作とのコンセプトの差違が目立ちがちとされる 『400 MOAI EYES』 も、これはこれでその後の dip への布石、デモトラック的ポジションに位置づければ十分に楽しめる。
久しぶりに dip のアルバムを引っ張り出す気になった。
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HISTORY / Michael Jackson (1995)
80〜90 年代の欧米ポップスをほとんど素通りしてきた私が、なぜか今になってその辺が気になりだしたわけで。 WHAM! を聴いているだけじゃ物足りない。
で、世の中にゴロゴロとあふれまくっているコンピレーションを聴いてみるも、どうも気持ちの良さが持続しない。とっちらかった感が強いというか、普通にミーハーなのだ。その時代を経験していない故に懐メロにもならず、かといって中途半端に近代物であるからして衝撃的な再発見もできず。
で、たまたまマイケルを借りてみたところ、ぶっとんだ、というか。もうこれでいいや。僕の要求はこれで満たされた。大音量でマイケル。ソウルもダンスもロックもなんでもござれ。これがキング・オブ・ポップスってやつ。
「『今夜はビート・イット』ちょーかっけー! 俺も食いてー!」 みたいな。余計な知識だけはあるんだな>俺
いや、マジで 『今夜はビート・イット』 にはしびれた。
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いつぞやか BS で放送されていた復活ライブが想像以上の決まりっぷりで、 90 年代における自分の偏見を罵り倒したい気分にさせられてはいたわけだが。
ナンセンスを持ち出すことにより、諸々と靄っていた気持ちを整理させようとこれを聴きながら外出したら、追い討ちをかけられてしまったというワナ。昼下がりのモスバーガーで思わず涙が出そうになる。
大槻ケンヂがマジックマッシュルームの副作用でおかしくなっていたという逸話が、曲のあちこちからにじみ出してくるのを直に受け止めさせられるようなこの共振はなんだ? 大丈夫か、俺。
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∞ -INFINITY- / DEAD END (2005)
何も知らないでこれを聴いたら 「なんだ〜、ヒデとラルクじゃん」 という恐ろしい一言で終わってしまいそうな。もしくは 「音の良いX」 とか。
最近ちょっとジャパメタな気分なんだよな。
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ごく当たり前のようにデーモン木暮が 「視点・論点」 のゲストとして迎え入れられたくらいではさすがに驚かなくなってきたが、番組最後の挨拶の振りで 「デーモン木暮閣下」 と紹介されたのを見た際には、うっかりと世紀末を乗り越えてしまったが故に消耗させられた自分の弱さを直視させられたような思いで一杯になってしまった。
で、作品自体は 「佳作」 。及川光博のカバーアルバムに準じる生真面目さ。
「六本木心中」 での独自解釈のフェイクなどをあちこちに放り込んでもらえれば、もっとアイコンっぽくなっただろうし、それを期待した自分だったんだが。
少なくとも30秒程度の試聴におけるインプレッションよりは格段に好印象。
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何度聴いても、 3 曲目辺りで何か別のアーティストに浮気したくなるのはなぜだろう。
微妙に何かが引っかからない。中孝介同様、放っておくと化ける余地あり、のサインなのか。
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濃さは相変わらず。でも、今回はなかなか飽きがこないな。所々に涙があるからか?
日活映画っぽさに、松竹の人情モノが加わったような。バンドが余計なことをしていないからこその聴きやすさ?
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iPod Classic を本格的に導入して早 1 ヶ月ちょい。容赦のない新譜の大量投与が可能になったことは良しとしても、その処方箋にリスティングされた内容がさっぱり飲み込めていない自分が悲しい。
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全ての示威行為が、おしなべて自らの逃避行為につながっていた。という結論がごく普通に降ってきた。いや、前文でも書いているか。
私の人生、これすなわち逃避ということだ。 「自分という人は自分と向き合えない人である」 とここ 10 年くらい自覚し続けてはいたが、いつになっても同じように思い知らされる。
こうして示威行為は明日も続く。たぶん。俺の人生、全てが示威だ。生まれながらの自意識過剰であるがゆえに示威も得意、とか。それはあながちダジャレでもなんでもないな。
グダグダだ。買い物もかったるいので、今晩もレトルトのカレーにします。マイケルだけが僕をなぐさめてくれます。
Who's BAD?