この辺の人と、mihimaruGT (以下「見日丸」) について一晩中語り明かした。お互い、もう、いい歳だってのに。
あの辺の人は、見日丸について 「move に J-POP のとやらは洗練をプラスしたものではないの?」 とずばり一言で表現しきった。それは move から見日丸に至るまでの時間が学習させたってことなんだろうね。若者的な夏のアッパー感をいかに頭悪く描くかという点では、講談社系のヤンキーマンガを読んでいる感覚に近い。バカをいかにエンタテインメントまで昇華させるかというノウハウの蓄積。それが時間。
ヒットチャート的トラックを作るという意味では move は直輸入の意識が強く、うまくごまかすエンコーダの性能としては実は生真面目過ぎたんじゃないかとも思う次第。マスにウケるということは、いかにバカに作り上げたか、もしくは臆面もなく作りきったかということだとも思うし。
で、見日丸のこのバカさはこれまで move が散々やってきたことなのだけれども、決定的に異なるのは、見日丸におけるボーカルの歌詞を YURI に任せることは出来なかっただろうということ。
その辺で move は YURI と MOTSU との役割分担が明確過ぎて、二人のポジション的落差が一見さんにとっては取っつきにくいオーラを生んでいたのかもしれない。バカボーカルものは、バカボーカルをメインの存在として割り切った方が勝ちなんだろうし。バカのベクトルを間違えてはいけないというか、迂闊にバカと口にしてはいけない東西の文化の違いというか。その辺でのごまかし方、身のかわし方が、見日丸には学習されていたということでもあるのだろうし。
見日丸のラッパー君はオールドタイプの 「添え物」 ラップに徹しているわけだから、チャート指向音楽としてはこれまた非常にオーソドックスな作りなわけで。それをこなしきってしまったというだけでも、強烈な電波塔なのだよね。そりゃ、確かにやられてしまうわけだ。
それを考えると見日丸並みに、難しいことなく、しかも適度にうまくて適度にかわいいビジュアルをもってこられては反則技というしかないでしょ。声質という意味でのボーカルのキャラも立ちすぎ。もしかしたら回転軸を同じくして move の位相を完全にひっくり返した存在が見日丸であって、これは move に対する見日丸なりのアンサーソングなのかも。
【補足】
世は認めてくれないだろうけれども、日本人はチョッパー系ディスコサウンドに弱いという俺説にも自信を持った次第。あのうねりが体内クロックとシンクロするんだよ。だから、この曲は全部反則。
ref.
気分上々↑↑ / mihimaruGT (2006)