☆さよならストレンジャー / くるり (1999)
布団を敷いてから、ふと聴きたくなった。僕にとってのくるりは何枚聴こうがこれにつきる。アルバムのタイトルが全てを語るこの恐ろしいまでの孤独と異邦人感、漂蕩は、他の作品では望む次元での表現がなされず、そして後に続いた学生向け眼鏡バンドムーブメントでも、一切、再現も凌駕もされなかった。
「漂蕩」 なんて言葉は、今、漢和辞典を引くまでは接したこともない言葉だった。ただとにかく 「漂」 という漢字一文字だけが頭に浮かび、それを補強し説明する言葉を見つけようと辞書を繰ったらそこにいた。
この音と向き合うためだったら、この手の回り道は一切苦にならない。それを苦とするのであれば向き合うことすら許されないかのような、空気を完全に焼き込んだ描画がここにある。真剣に描きこまれた絵、偶然だろうとも切り取ることに成功した写真には、それを鑑賞する自分もまた真摯な態度で臨むからこその内なる、猶予を求める感動がある。芯から鑑賞できたものが、瞬時に言葉できるはずがないだろうが (何をそんなに興奮しているのさ)。
真剣に鑑賞しようとして、自分の中から削り出すことに不足するというのであれば、外から借りてきてでも肉付けしようと考えるのは当然のことだろうが (だから、何をそんなに興奮しているのさ)。
なんだかよくわからないけれども、とにかくそういうことで。