☆君は僕の宝物 / 槇原敬之 (1992)
当時から大好きな作品集ではあったけれども、今聴いてみても唸りどころ満載。学生時代に聴いていたこれと、今だから聴くこれとを両方持ち込むことで、水族館の巨大水槽の裏側から観客を覗いているような、同じ場でありながらも異なる視点を得た安心感と新鮮味の両立が叶えられる。もちろん、ここでの水族館は恋愛観 (=恋愛感) という単語の感覚的アナグラムで。
今さら改めて語るまでもなく、間色を重ねて恋模様を描くことに長けているからこそ槇原敬之という言い方も可能だが、行為を落とし所としない恋愛描写を画力の拙さの言い訳にしているのではなく、目を背けないようにと観察対象に向けた自分の首の動きを固定し、克明に記録した中から感覚を刈り込もうとする精神力には改めて脱帽させられる。
だからこそなのか、生活感や恋愛の温度を懸命に描きながらも、キャンバスの数を重ねれば重ねるほどにセックスからは乖離していく。反体温感といってもいい。それは、自分と対象という一対一のみを描こうとするのではなく、自分が位置する社会での道徳の中で恋愛を描こうとする、一対多が意識されているからこその聴き手としての安心感にもつながるのだろう。
その感覚に夢を求めていられるうちは、自分の中にある甘っちょろいセンチメンタリズムは健在なのだと、実は少しばかり嬉しくもなる。そう思えるダメ男がこの世に存在する限り、この時代の槇原敬之は類似性を持たない恋夢物語の宝庫であり続け、愛おしい言葉として自分だけの体温で保温したい感覚に包まれるのだ。