☆MANIA MANIERA / ムーンライダーズ (1982)
金属による友好通信ないしこっそりと独り耽るポップライフの投影先。
歯車からスプリング、ビスに至るまで全ての部品が磨き上げられ、その上から振り掛けられているとろっとろの飴。彼女でも作り出せない憧れのあの蜜。
舐めても舐めても舌の上はつるつる。やがて口の中から摩擦という摩擦が奪われ、僕のキスは誰にとっても、安い缶ビールの口づけと変わらなくなる。
どこに向かうともなく行進を止めない部品の傍らで、僕は段ボールに描かれたジグソーパズルを気の触れた子どものようにバラし、指に糸引く唾液も気にせず、口に運び続ける。
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手元にある数枚のムーンライダーズ (鈴木慶一ソロ含む) の作品全てが、それぞれに大きく異なる角度で、その都度自分のどこかしらにざっくりと傷をつけるからこそ、その中にも類するサウンドを持たないこの作品は、時を経れば経るほどに手放せないものになっている。
そして 「時代の先を行きすぎた」 とは、このアルバムを評するためにある常套句。自分もしばらくはその評価に同意していたのだけれども、このところどうも違和感が。
先を行きすぎたのであれば、時代がここに追いついているはずなのに、この作品のどこに時代が追いついたのかが見えてこない。分子レベルとしての音源を細分化してコラージュする手法、すなわちパーツという意味でのサンプリングはとうの昔に普遍的な技術になったが、それでも結局、このアルバムの類似性のなさは揺るがなかったように思える。
もし 64 の音が重ねられているとするならば、 64 人が各々一つの音だけを担当しているかのような、ここ以外に存在することが難しい人数構成のバンドサウンド、人間の手による音で作られている世界か。経年変化を無視する、わずか三十と数分。
これは思わぬ所で時間の凝縮体を握ってしまったために以降、太陽が誘導するところの時間を一切無視して、どこぞとやらにスキップしてしまったと見た方が愉快だ。お約束なサイエンスフィクションよりもはるかに独創的で、全ての音と隙間がタイムラグを許さない強制接続、興奮をもたらしてくれる。