☆J.S.BACH : ブランデンブルク協奏曲 / Ton Koopman
☆J.S.BACH : マタイ受難曲 (抜粋) / Ton Koopman
プール後のビールが響いたか晩飯の量が多かったか、食事後に頭の中が完全にスタック。床にござを敷いて寝っ転がり、ブランデンブルクを聴いてみたけれどもどうも響いてこない。
Disc 1 でブランデンブルクを止め、続けてマタイを流してみたところ、こちらは声楽が中心だからか、まったりといい具合にハマってくれた。脳内パルスが広間隔になっているところに、ブランデンブルクの短波な作りが合わなかったのかもしれない。
思うに、マタイは考えなくても耳に入ってくるのだろう。自分が何か別のことに集中していても、その傍らで流れている曲の展開に気が削がれずに済む。
ブランデンブルクの場合、こちらが考えようとしなくても音が逐一質問をしてくるような気にさせられることがある。現代文 (国語) のテストを受けているかのように。読み手の思うままに読ませればよいだろうと思いつつも、一つ一つ立ち止まって考えさせられてしまうような。
だからこそ、展開の意味が気になる都度、ライナーを手に取らなくては気が済まないし、 CD のライナーごときではまったくもって物足りないというフラストレーションが溜まっていく。
写真でいうならば、マタイは風景写真。ブランデンブルクは顕微鏡か。
自分にとってのクラシックの聴き方、作法のペースがよいあんばいに練り上げられるまでは、構造的な勉強やら、歴史的な知識の摂取やらは極力避けておこうとも思っていたけれども、ブランデンブルクのように展開を見つめることに面白味が見出せそうな曲ならば、構造、仕組みを多少は理解しながら聴き進めた方が、興味の掘り下げにつながるような……いやいや、焦りは禁物。
知識を得る前に、自分と音との間柄における興味関心の方向性、おつきあいのベクトルを探れるところまで探っておいた方が、後々、いい感じに 「きみとぼく」 だけのラブサークル、音楽世界を築き上げることが出来るだろうから、無理はしますまい。
音楽解析に熱中してしまった挙げ句、素直に音を楽しむことを忘れていたかのような数年だったけれども、解析することすら無駄に思えるほどに気高い山嶺に近づくことが許されたのだから、今後、ただただ感嘆の溜息をつくだけの日々が続いたとしても、それはそれで、ありがたい巡り逢わせであるとは思わない? これが今年最大の収穫になっていくのかな。