☆TOP OF THE POPS / 桑田佳祐 (2002)
桑田佳祐を聴くと切に感じる、どこか一つを取っても新鮮さなどないくせに古臭くもないという二律背反なノスタルジー感の理由は、桑田ど真ん中世代を中心にしてプラマイの範囲で調査・比較すると、何かは見えてくるのかなとか思ったみたり。
ポップスにおけるインプリンティングがすでに完了している (僕らの耳ができあがっている頃には、すでに爪痕以上の圧力を残している) 時代の空気がふんだんに盛り込まれているからこそのいつでも慣れ親しんでいる感なのだろうな、と思ってみる。
レイディオポップスないし街宣ポップスのど真ん中に攻め込もうという姿勢が、とにかく素直にかっこいい…のかな。その辺は 『KEISUKE KUWATA』 に顕著かと。
うん。桑田ソロには、何事に対しても 「むやみ」 に掻き立てられてしまう感に辟易してしまうことが多々あるサザンのようなえげつなさがなくていいのだ。なんというか、ケだろうがハレだろうがお構いなしに常に祭り状態の仰々しさに持っていってしまうサザン (そして、サザンというバッジのついた神輿を、神事の意味を掘り下げるでもなく、ただ担いで騒ぎ回ることに躍起になることにも似た周囲の環境、かな) に対して、ケならケなりの、ハレならハレなりの枠の中で、おろそかにせず厳かに形式を踏む桑田ソロ、のような差とでもいえばいいのかな。
これ以上考えると疲れてくるので、この辺で思考停止。