僕にとっての夜はこれ。とはいえ、浸るための夜ではなく、寝る前の洗濯物整理やちょっとした整頓の時間の BGM として使うことが多くなってきているけれど。
全ての曲がそうだとは思わないけれども、夜の中に作る、猥雑雑多な欲の煮込みスープが (特にポリドール後期からフォーライフイヤーズにかけての) 井上陽水なんだろうと。それも数年もののビンテージスープに。ビンテージでありながら、今食べるためにあるスープの中に。
だからこそ、この人の音は枯れてしまわない。後ろ向きなことをしようとしないし、たとえ年に一枚というハイペースリリースからはリタイアしていても、財産として作られた音楽が、いつでもその時々に作用してくれる。
過去の財産が過去の財産としか機能しなくなっているアーティストには、その全盛期からついてきている (もしくは音楽 = そのアーティストとして染みついている) 聴き手が遮眼帯付きで付き合いを延ばしているだけで、今の音に対しても付き合い程度だという思考停止に陥っている。
コマーシャリズムが欲望に訴えようとする最たる例、手段だとすれば、井上陽水はそれを失うことなく利用し続けていることに 「レア」 リティがあるんだろうと。
と、十年前かぶれの面白味に欠けるアーティスト論はともかく、少し照明を落とした部屋の中で、音にも集中しつつ夜のクールダウンをするにはもってこい、とそういうことで。多分なはかなさを手軽に味わいながら、無理しちゃって、とか呟きつつも聴いているわけだ。