妹が段ボール一杯に送りつけてきた CD から発掘。 「愛の才能」 以降のヒットシングルにつられて聴いてみたら、一気に胸焼けを起こしてしまったというかフラッシュバックというか、相当なことになってしまった。これを片づけるためには書かねば。
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気の迷いだったとは思いたくないが、以前、かなりな女性とお付き合いをしたことがある。そこで感じたのが、オトコノコの何もかもを飲み込もうとする時の、オンナノコの凄まじいばかりの吸引力だ。
個体差はあるのだろうが、事後に周囲の証言をかき集めていくと、どうやらそのパートナーは相当に強力な吸引力を持っていたらしい。自分の人間関係において築き、撒いていたマーキングを見つけると、一滴残らず、残り香すらもそこに漂っていることを許さない勢いで、ただとにかく何もかもを吸いこみ尽くそうとしていた。
そこに悪意は一切ない。自分があまりにも無防備だったともいえる。しかし善意からはほど遠い。すべてはオンナノコ自身を満たしていくための手段なのだ。少しばかり違った色に見えはじめた日常も、そう思わせる、思わせてくれる、アイテムとしてのオトコノコも、すべてを見通す目を持ってしまったと勘違いする優越感 (ヨロコビ) も、すべては自分ありきとして正当化された、彎曲のその噴出体である。エゴ、という言葉では軽すぎる。
目眩を起こしたその正体が何であるかとわかっていても、怖い物見たさで歌詞を読み通していたら、川本真琴の言葉の端々にも潜んでいた、あの無垢な吸引力にあてられてしまった。真っ白なものだから、ありとあらゆるものを吸いこむキャパシティを持っている。恐ろしい。
無垢が即ち悪だとは思わない。が、制御する第三者機関もないイノセンスが鱗粉を振り撒き散らした結果、想像しえない化学反応を導き出してしまうことだってある。真っ白な布の上に次々と生理的な染みが増え、染み抜きが手遅れになる頃になってからその正体を解析してみると、すべてが自分から抽出、搾取された体液だったのだ。不快を通り越して、生理的矛盾の生体反応が引き起こす色の変化。歌詞カードの上にも無数の体液が、勝手な化学反応を引き起こされて無造作に塗りたくられていた。
このように、本来は自分の物だったはずのエレメントでさえ、吸い上げられて二度と自分の手に戻ってくることはない。そしてそれを 「共有」 という言葉にすり替えて、オンナノコは一方的な満足に浸っている。当事者であるはずの自分、オトコノコは、その時点ですでに蚊帳の外なのだ。
皮膚で光彩を感じ取っているという、一過性の他愛のない錯覚に溺れるオンナノコだからこそ共有できる偽色は、まず間違いなくそこにいるオトコノコの染料でできている。それは実体でありながら、実体は置いてけぼりにされている被害者とそして加害者との、数え切れない妄想 (ノンフィクション) で塗りつぶした糊代のたわみなのだ。
((本筋的追記))
救われるものがあるとするならば、音程に頼らない異端な伝達方法か。ただでさえ濃厚な感情生理的世界を、これ以上ダイレクトに押しつけられたのではたまらない。実際にあるべき音と実際に歌われている音との間にあるアソビが緩衝材になっているからこそ、聞き流せるための音楽として辛うじて成立しているように思える。これを真剣に受け止めようとするならば、相当な感情的エネルギーを消耗してしまうようにも思われる。が、それはできあがってしまった抗体が、一時的に異常な反応を示しているだけなのだろう。