読んだはずの本、その中身を忘れるようになった。読後感の印象は残っているのだけれども、見事にストーリーの輪郭がすっぽ抜けちゃってるという悲惨さ。四捨五入で三十路が見え始めたこの脳では致し方ないことなんだろうかと、諦めるにも諦めきれず…。
で、先日とある方に 「最近あんまり音楽聴いてないんじゃないですか?」 と突っ込まれとりあえずは否定。でも、うーん、どうなんだろうか。
音楽好きを自負するようになってそれなりになるけれど、学生になったあたりからは音楽を話の種にできるほどには聞き込めなくなっていたんじゃないだろうか、と思ってみたり。カジュアルに音楽を聴くと言う意味では、今も最盛期ほどではないにしろそれなりに聴き漁っているつもりだし、もともと消化不良を伴いがちな先物買いマニアな聴き方は自分にとっての主流ではないので、その辺りの傾向も変わっていないわけで。
音楽に接する時間が減っているのは確か。たとえ耳障りではない音楽であっても、聴かない方がいいという時間も増えている。かと思えば、床に転がって雑誌を読む時に大音量で音楽を流すという行為もまだあって。運転しているときもそれに同じく。
思うのは音楽を聴くことが、知らず知らずのうちに覚えることと等しくなっていたんじゃないだろうかと。言い換えれば、何だかんだ言いながらも歌う目的と、流行ネタとして知っていなければならないという、ある種の強迫観念に圧されて音楽に向かっていたのではないだろうかなどと。
時を経るにつれ、音楽を聴く上でのそれらオマケ的な要素がどんどんと減っていったのと、自分の耳がある程度固定し始めたことを受けて、量が減るとともに密度が高まるというポジティブな老化現象が発生し始めているようにも思える。この老化現象が恐いからといって闇雲に聴き漁っているだけの音楽生活をしてしまうと、音楽を受け止めてくれる胃が致命的にヤラれてしまうことも想像に難くないからこそ、耳は自動的に老化してくれるんだと。著しく自分勝手な解釈かもしれないけど。
輪郭を忘れちゃったとしても、聴く度に印象が異なってくるのが音楽である以上、忘れるというのはある意味幸せなことかな、と。完全に忘れるというのであれば、それは耳に付随する胃が自動的に浄化してくれているんだろうと、ちょっと前向きに。
こんなこと書きながら、 aiko 聴いてたら…途中で切れてるやんけ。 DAT に落とした時に確認してなかったんだな。はぁ、情熱は年とともに衰えるのか? なんていう自虐的な終末なんだ。