2004年02月10日

そして音楽は消費財へのさらなる道を

[ CCCD]

僕の誕生日が近づき、 つい先日書いたカザルス のリマスタ盤をプレゼントしてもらった。これまでに聴いていた盤に比べて、ややメタリックに思えていた響きが落ち着き、モノラル録音でもここまでふくよかな響きを作れるものなのだと、オリジナルと比較した上での厳密性はともかくとして、 EMI の持つ技術に拍手喝采したばかりだった。

Furtwangler 没後50周年 remaster
↑リンク先は HMV (夜間のレスポンスは重いので、昼間のアクセスをお勧めします)

なるほど確かにそうだ。ジャンルを問わずクラシックだろうと何であろうと、それは継承されていくべき芸術財産ではなく、守るべき版権と利益なのだよね。

もう、とっくにわかっている。 CD は終わった。レコードが終わった時と比べてそれがドラスティックでないから、僕らは大騒ぎしてしまうのだ。次世代規格盤が同時発売されなかったり、リリーススケジュールが不明のままで CCCD というものが産み落とされてしまうものだから、僕らは混乱してしまうのだ。僕がメーカーに望むことはただ一つ。早く次の規格へと乗り換えてもらうこと。

そして、リマスタという業。このリマスタという冠によって、メーカーは 「音楽」 を超短命な消費財へとシフトさせる旨味を覚えてしまった。そこに踊らされているのを承知で、僕は踊っている。もしかしたら、それほど時間をおかずに次規格盤がリリースされるかもしれない。それでも踊らされてしまう。さらには希少性という見え透いた武器を突きつけられ、あっさりと降参してしまう。

そうだとしても、現状のままでは気楽に音楽ソフトを買うなんて恐ろしいことはできない。次の規格がそこに見えている、もうすでにそこにあるにもかかわらず、現状の規格を退化させたクオリティでしかない商品が提供されている。

音をパッケージした時点で、閉じこめられた音はその規格に左右されてしまう。根本的な解決方法はパッケージからの解放なのだろうが、瞬間性よりも効率性を求めるからこそ、僕らは提示された規格の動向に一喜一憂することになる。それでも音は音であり、音に罪があろうはずもない。

自分にとって、音楽は耐久財だと思えるからこそ、僕は、自分というちっぽけな消費財の、ごくわずかでしかない時間の対価を支払っているのだ。共倒れの消費財であることをよしとできるほど、軽々しく音楽を扱っているつもりはない。

情報源
いかんともしがたい 「フルトヴェングラー も CCCD に・・・」

リンク先 URL は 04.02.10 現在

この記事へのコメント

哀しいです。

大切に伝えていくべきものを破壊してしまう愚考は歴史上
繰り返されてきたわけですし、輝かしいアドバンテージ
を台無しにしてあまりあることを犯してしまうのも、人間
にはありがちなことなのでしょう。
とでも言っておきます。
私は「大人」なので、罵倒の言葉を文字が見える紙面
(web面)に書いたりはしません。入力する文字一つ一つ
の裏側すべてに大罵声と怨念を込めてみたりします。

クラシックの場合は版権が複数あったりするわけです。
むっかしーのモノラル録音LP雑音バリバリな物から、
馥郁とした音楽をくみ取って聴く者は多いんです、クラ
シックファンには。リマスタで嬉しいな!という物を
買わないでいることは、さほど難しくないんです。


後日、言葉を修正するとおっしゃっている記事に、敢えて
修正前にコメントさせていただきました。それほどに唖然
としたということです。

Posted by: しぇり at 2004年02月11日 00:23

コメントありがとうございます。

文章は簡単に修正しました。
コメントへのお返事は、ちょっと書く気力がありません。
でもしぇりさんの真剣なお言葉は確かに頂戴しました。

Posted by: 本人 at 2004年02月11日 19:17