使いまくって疲れた頭で運転しながら、 BUMP OF CHICKEN を聴いた。悪くはない。同時にこんなことを考えてみた。別にこの音楽をやり玉に挙げているわけじゃない。読めば分かると思うけど。分からない人がここには来るはずもないだろうし。
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・資源は尽きる。音楽を時間とメロディとリズムの枠に封じ込めたポップス (ロックも何もかも含め、クラシック畑と対比させる言葉としては、これが最も相応しい) という存在に接していると、見事なまでに限られた資源の中で、いかに再生産を繰り返し続けるかという永久機関に対峙しているような錯覚に陥ることがある。
・尽きたかもしれない。そうではないかもしれない。資源とは同時にオリジナリティとも置き換えられ、それを持たずして、既に出揃った音楽 ( = 詞 + 曲 + 編) の中で創作活動をすることを、ミュージシャンはどのように捉え、活動しているのだろう。
・仮にも生業として音楽を営むにおいて、ミュージシャンというパッケージ、一個人が出来上がる過程には、数多くの先駆者というミュージシャンが存在していることは間違いない。資源に挑み続けた彼らをうまく煮込んだ上でダシとして生かしたのは、果たして今現在台頭しているミュージシャンなのか、それとも過去に現われては消えていった、最早不特定多数のミュージシャンと言う名の歴史なのだろうか。物理的金銭的に手軽となり、かつ消耗品として広く普及した音楽は、作り手の敷居も大きく引き下げる、いや押し下げる結果となった。歴史というには軽すぎる時間の経過が勝手に煮出したエキスを盗み出し、何食わぬ顔で食卓に出すミュージシャンが存在したとしても、敷居すら持つことを覚えず受け入れる層の数が勝っている事実。
・これではあまりにも新たなるミュージシャンとリスナーを悪者扱いしているか。しかし忘れてはいけない。音楽においてパクリかそうではないかと言う論争を、避けては通れない話題だと盛り上がったリスナーが多く存在したあのバカさ加減を。あの論争は二つのアーティストが位置する時間が重なっていたが為に生まれた、どうでもいい話題でしかない。差違を見出すことすら出来なかったものが、話題という名のコマーシャルにノセられただけに過ぎない。二者の存在する時間さえ大きくずれていればパクリという安い形容は用いられず、今風に言うところの 「リスペクト」 になる。
・さて、僕らと彼らは 「焼き直し」 という言葉は知っているのだろうか?
・通好みの音楽という体のいい飾り言葉は、自称音楽マニアの審議眼にかなった、通好みのリスペクトミュージックということでもあるらしい。ウケのいい音楽であればパクリ。これら語り部によって成立させられてしまう音楽を、一体いつまで僕らは持ち上げ続けるのだろう。
・音楽ファンへ。共有される知的資源も枯渇するのだ。忘れるなかれ。
cf.
BUMP OF CHICKEN "THE LIVING DEAD" P:2000