2000年10月10日

CALIFORNICATION / RED HOT CHILI PEPPERS (1999)

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彼らの音との出会いは随分とありふれていた。いつもの TSUTAYA で漫然と CD の陳列棚を流れていたら、どうでもいい BGM だったはずの音が、やけに耳に入ってくる。ただ今の曲が、そして次の曲が聴きたいが為だけに、目に入るわけでもない CD を手に取り挙動不審を隠し、そして文字通り意を決して店員に訊ねる。

大体こういうときは、ごくありふれたメジャーな名前が返ってくるもんだ。まさか今の今になって、初めてそれを聴くことになろうとは。なおかつ、今さっきまでヘッドホンで彼らのアルバムを聴き、猛烈に、そして相変わらず漠然と 「死のう」 などと考えたこと、そのこと自体が信じられないほど、身体になじむまでの時間は短かかった。

洋楽の面白いところは、自分のヒアリングスキルが皆無に近いことから、まず真っ先に 「音」 という先入観に左右されるところにある。直訳の歌詞は大した意味を持たず、自分の入れ込み度合いに比例しながらの対訳作業が、後から音に幅をつけるかのようについてくる。現時点、この CD は前者の段階で楽しまれている。

それは無気力の先にある自暴な攻撃性でもあり、また自らの身体を傷つけ果てた挙げ句に、残ったのは持てあます脆い身体だけという投げやりな希死感でもある。衝動の反映としてのロックとは、言い換えれば誰もが当たり前のように経験している 「死ね、お前」 という、ごく簡単な排他感の、さらに極微な表現手段でしかない。崇拝するのもバカバカしく、論じる対象とするには、余りにも普遍に過ぎる。原始的な感情、欲の一端でしかなく、例えば一アーティストを継続して聴くわけでもない、今回の自分のようなリスナーからすれば、その音楽性がメロウに偏ろうが、ファンクだろうが、ハードだろうが、そんなことはどうでもいい。お気に召すか召さないか。二者択一という分かりやすさを前に、何を論じるというのだ。

少なくともここに一人、気分に左右されながらもそれなりに満足するリスナーがおり、そしてメディア評価もへったくれもなく 「聴いた、気に入った、買った」 という衝動を沸き起こした、購入意欲を満たすアルバムが一枚あったと、ただそれだけのことだ。

cf.
RED HOT CHILI PEPPERS "CALIFORNICATION" P:1999