2000年12月09日

Viva La Revolution / Dragon Ash (1999)

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RIZE の新譜をレンタルしてきて、今、CD-R に落としている最中です。

世の中みなさん器用になってますよね。一つ何か衝撃的な存在が出てくると、そこに付随するのが得意になっていますね。それって日本人の得意技でもありますよね。いいことですね。そのうちに競争原理が働きはじめ、みな切磋琢磨するようになると、これは言うこと無しなのですが。

はー。 RIZE に関しては深く語りません。なにせ、まだ今 1 回目の再生なんで。ここからはアーティスト比較論じゃないですよ。単なる連想ゲームです。苦しい言い訳だな。

何を語りたいかというと Dragon Ash ってやっぱかっちょええなぁ、と。少なくとも 『Viva La Revolution』 では、まぁ、確かに 「リスペクト」 だの 「革命」 だの喚いている部分にどうしても目が奪われがちですが、「Let yourself go, Let myself go」 に象徴されるような、つまるところ少なくとも現代における 「革命」 などという、無力化されている言葉の行き着く先、ないし源は、それを起こそうとする者が持つ退屈、ボアダムをいかにして、自分の中にある空白として認め、見つめるかということだと思うんです。その空白に対峙した際に、無力化されている言葉に力を注ごうとするならば、それは確かに精神的な労力を必要とされる行為であり、表層的には破壊工作の煽動とも捉えられるのかもしれません。

自虐に至らず、己とそれ以外という二つしかない世界を包括しつつも、それを認知しうる目を持つ人間の為す自省は、ある意味、知性の反映と言い換えてもいいでしょう。仲間を尊敬するのは簡単なことなんですよ。最も手っ取り早いのは自分が屈服すること。適度な屈服を知らない人間には知性などはありはしませんし、だからこそ屈服という他者比較との際に生じる空白を埋めるべく、人はネクストフェイズに向かっていくのだろうし。そうした者の背中には必ず陰と陽のコントラストが生まれるはずですよね。その落差が、またこの者に更なるエッジを与えていくように。

そんなことを考えていくと 「Grateful Days」 って、このアルバムの中では浮きに浮きまくっていると思うんですが。このジャンルにおける政治力を考えた末の苦肉の策だったのかもしれませんが。

cf.
Dragon Ash "Viva La Revolution" P:1999