2000年12月22日

真綾論 2000 (本編)

さて今までたったの 2 回にわたって様々な角度から坂本真綾を解析してみましたが、まぁ冗談抜きに言えることとして、現時点における坂本真綾の購買層が声優ファンと音楽マニアの極端なスプリット状態の中にあり、セールスのブレイクスルーポイントを売り出し側も見つけにくい状況にあり、実は誰もが困惑の中にあるのではないだろうかという疑問点が上げられるのです。

立ち読みした声優雑誌には 「宇多田ヒカル、矢井田瞳のような(椎名林檎だったかもしれぬが)アーティストになりそうな気がするんですよ」 という 「おい、インタビュワー。いくらなんでも、それは、読み手までバカにしちゃぁいませんかい?」 という締めくくりで、もう苦笑を通り越して、とりあえず僕はその場で静かに誌面を閉じてそれを書店内放置プレイに晒す以外に出来ることはなかったわけですが。実は単に読み飛ばすにはしのびない何かがそこには潜んでいるわけでして。

売れりゃいいってもんじゃぁないです。でもせっかくの器をそのまま放っておくのも、なんかもったいないなぁと。きっとそう思っているからこそ、前述のインタビュワーも大きく出たんだろうけど。

どうも評価のフォーカスがぼけてるんだよな。そのぼけ具合に甘んじている現状こそが、声優音楽の声優音楽を決して脱することのない所以なのだけれども。

とりあえず 「声優」 の中には、音楽的嗜好の一般性という意味でのポピュラリティを同時成立させる存在としてのアーティストは坂本真綾をおいて他にはいません。とてもじゃないけどアーティスティックに走ろうとした椎名へきるじゃ無理があり過ぎる。旬も過ぎてるしな。ボーカリストとしての声がそもそもアイドル崩れだし。今述べたアーティスト性というものは、作家やプロデューサーといった、そんな副次的な側面的を固めるだけでは伸びていかないのです。そもそも 「声優」 という明らかに可視的かつ難攻不落、むしろお近づきになりたくはないカテゴリが相手にしている牌が少なすぎるし。と書いておき、肝心な点からは逃げておく。

で、そんなことはレコード会社だってとうに分かっているはずなのに、どうも勘違いを勘違いとして指摘しようとしないのが、いかんともしがたいところで。もしビクターがそんな声優業界に吹く悪しき風習に倣っているのだとしたら、まぁ、何ともはや!

飽きてきた。具体的なソリューションは最初に提示しちゃっていたからなんだけど。宣伝の対象として残っている方法は、生み出してしまった空白、グレーゾーンに訴えかけるより他にないわけでしょ? で、そこに訴えられるかどうかは、先のポピュラリティの有無にかかっているわけだ。その辺、菅野よう子はこのゾーンに飛び込める感覚があるはずなんだけどな。もともと新たなバンドサウンドを模索していた時代の SONY の抱え子だったわけだしさ。音楽マニアが言うところの 「聴けば分かるよ、この凄さ」 ってのは、その行きすぎた結果でもあるのだが。

菅野よう子はアニメ…失礼、声優ソングファンからすると神がかった存在であるかのように謳われ、そしてアニメを遠目で見ている人間からは、アニメという城で奉られている地方宗教の崇拝対象として貶められやすい現状にあって、そんな 「外野」 の出来事に、本来売りに出さなきゃいけないはずのグレーゾーンも感化されやすいと言う、これまたいかんともしがたい、収拾のつかない口コミ状態になっているような。

とにかく、声優がそんなハイ・スプリット状態にある一部購買層の中で、牌を小さく刻んでしまっているだけの結果をくりかえすだけであれば、声優ソングという下らないカテゴリも大きくなれないし、坂本真綾も結局はその肩書きに 「落ち着く」 ではなく 「落ち着け」 てしまうし。とにかく八方ふさがりで、次の局面は開いてこないと思うんですが。とかって書くと、突発的に怒り出す林原めぐみファンも少なからずいるだろうな。 「セールスやチャートアクションを結果として残している声優だっているんだ!」 とか。論点ピンボケだよ、そりゃ。

売れりゃいいってもんじゃないです。でもせっかくの器をそのまま放っておくのも、なんかもったいないなぁ、と。くだんのインタビュワーもまたフォーカスがぼけてるんだよな。

スプリットとフォーカスぼけ。この二言かな、結論は。とりあえず、短期集中連載の締めくらいはしっかりと結んでおこう。

「真綾萌え〜」