CCCD反対に反対する人の一部は、宗教だからねぇ。。。(MISIA CAFE)
どひゃー。宗教か!
断言に及ぶまでの十分な過程がそこには当然あるのだろうけれども、それにしてもインパクトあるなー。
「CCCDに反対することで、音楽通ぶれる」と言うマインドそのものへの対処が行われない限り、音質劣化がなく機器への影響も無視でき、DRMが緩やかな技術であっても、CCCD反対はなくならない。目的が反対することそのものになっているのだ。
(以上引用)
個人的には、自分の持っているプレイヤーでの真っ当な再生が確認されない限り、 CCCD 反対は唱え続けていくつもり。もしくはデジタルオーディオの新技術がデフォルトになるまで、かな。そういう意味では CCCD は期間限定な必要悪かもしれないけれども、今リリースされてる CCCD ソフトが新技術メディアで再リリースされる保証もないので 「時限必要悪」 的な断言もしたくないんだよなぁ。
で、実被害者の声と、似非 (擬似) 音楽通マインドで唱えられる CCCD 反対運動とは、極力切り離して読んでいくようにしたいなと思った次第。実体験による反対運動なのか、イマジネーションによる反対運動なのかというところで、優劣つけるような考え方はいかんとは思ってはいるけれど。社会ご時世的にもね。
その 「音楽通マインドによる CCCD 反対運動」 は学生主催のイベント的な盛り上がり方をしている側面も否定できない…か。俺、学生時代からそういうの苦手だったし。そういわれてみると 「宗教」 という表現も、多少過激ではあれ、なるほど的を射るものなのだなぁ。
でもやっぱりどういう形であれ、 CCCD を取り巻くありとあらゆることに関しては、納得のいくことなんてそうそうありゃしないのです。数多ある意見も議論も論破の応酬も実被害も、そしてそういうことで無駄にする俺の時間もー。
本文中リンク先 URL は 2004.01.24 現在
早速のTrackBack、ありがとうございます。
まず、おっしゃる通り、CDプレーヤで再生されないと言う問題。
これについては、レコード会社はもっと真剣に対応すべきであることには、
全く異議がありません。
この論点からのCCCD反対は「仕方が無い」とも思います。
一方で、初期のCCCDで再生できなかったことだけでもって、
全てのCCCD技術に反対することにも違和感があります。
この辺は、レコード会社・メーカー・消費者が協力しあって、
CCCDの技術・バージョン別に「確認済」「一部不可」「不可」などの
情報収集と公開が求められるところだとも思います。
個人で、そう言う情報提供の努力をされているサイトもあるようですが、
協力が進まない。まず「反対」ありきで、「解決を目指す」と言う
現実的な行動がほとんど見られない。そう言うところが、
CCCD反対を「宗教」と見ている一因でもあります。
そして、次世代メディアやオンラインサービスの拡充が図られた際には、
CCCD発売ものの再発を求めていきたいところです。
最近のBOXモノを見ると、コレクターズアイテムに関しては
CCCDでなくなる傾向ができつつあります。
人気のピークを過ぎた作品については、
違法コピーによる被害も無視できる大きさになるでしょうから、
再発売の時にはCCCDを外してくれ、みたいな要望は、
意外と通り易くなるのでは?と期待しています。
コメントありがとうございました。
すいません、押し付け気味なトラックバックに
コメントまでいただいて。
以下、コメントに対するコメントというよりは、
頂いたコメントからの膨らませた勝手な発想です。
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Web での 「協力」 というのは、何かが違うのかもしれません。
各々が各々の手間にならない程度に、
軽く突っついては反応を見て手を引っ込めてしまうような、
そんな蟹遊びのような感じで
CCCD 反対を唱えているのかもしれません。
それによって引き起こされるリスクや面倒を、
実生活まで持ち込むことがうざったいとでもいいましょうか。
現実的な行動というある種の運動を行うには、
まずよっこらしょと腰を持ち上げなくてはなりません。
そのためには誰かが先導者かつ扇動者となって動き出し、
それに対して
「じゃぁ、自分にも暇やら金やらがあるから、いっちょ協力してみるか」
と流れがつながっていかないと難しいのではないかと思うのです。
現状においては、まず先導しようというところまで
漢っぷりを見せてくれるようなことに期待はしてませんし、
僕もそういう気はさらさらないんです。
ひどいことをいえば、
そういう人間は Web なんていう世界で
ウジウジしているとも思えないんですよね。
という話の流れからすれば、
「Web 上での CCCD 反対運動は基本的に空虚なものだ」
という極論にもなりかねないのだけれども、
それすら 「極論」 でもないような。
CCCD に対する、始まりから存在した諦念とでもいいましょうか。
非常に日本人的な流れとでも言いましょうか。
宗教とするのであれば、教祖が立たないことにはどうにもならない。
となると、現状は宗教どころか
学生のサークル活動レベルなのかもしれません。
教祖になろうとしている人も、教祖にはならない。
周りも別に教祖を望んでいるわけでもない。
横一線、一緒になって祈っていればいい。
もしくは賛同者を募り、自分の意見の確認作業さえできれば、
それで CCCD に異を唱えるへの満足の第一段階を
クリアしてしまうような気がしています。
当の本人も、別に教祖が現れることは望んでません。
なにせさまよえる子羊だし (子羊でありたいし) 、
自分の実生活の足をそういった反対活動に直接結び付けようとする
勇ましさなるものがまずないですから。
ただとにかく、
CCCD の被害に初めて遭遇した時のショックを
何年も引きずって今に至る、惰性の CCCD 反対論者の一人なのです。
ちょっと気が滅入ってきた(嘘)。
あ、せめてコメントへの反応をひとつくらいは。
>最近のBOXモノを見ると、コレクターズアイテムに関しては
>CCCDでなくなる傾向ができつつあります。
以前自分も翻弄された REBECCA の BOX もそうでした。
BOX ではありませんが、最近では佐野元春の例もありますね。
うがったことを考えればそれはもう本当にきりがないのですが、
今はたとえ翻弄、踊らされまくったとしても、
CCCD を回避したという事実だけは、
素直に受け止めようと思っています。
ただしこの傾向がしっかりとしたスタンダードになるのか否かは、
どうにもこうにもまだまだ判断のつけようがありません。
もうしばらくは静観したり、
地団太を踏んだりしてみようと思っています。