2001年03月28日

Distance / 宇多田ヒカル (2001)

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本来ならここで坂本真綾の新譜について熱く語っているはずなんだけど、弟が買ってきた宇多田ヒカルにハマっちゃったんで、それについて。

とりあえずこの艶やかな声は、一体いつの間に生まれたんですか? ハスキーボイスが生み出す色っぽさというものは、たとえば八代亜紀であったり、内藤やす子であったり、もっともっと新しくすれば BARBEE BOYS の杏子とか (全然新しくないよ!) という、ある種水商売的というか、姉御肌的なニュアンスがつきまとうものなんだけど、宇多田のそれは洗練されすぎて、無国籍に、脳幹をマッサージされるようなスパークリングワインの泡沫にも似て、って何言ってるかわかんないでしょ。書いている僕もわかんない。

1st アルバムの段階では、突然変異的アーティストという評価が先行して、収録されている曲はそれなりにコンパクトにうまくまとまっていると同時に、それが実は退屈をも生み出しやすいという盲点を指摘する声がなかったのが意外なんだけど、ちょっとこのアルバムでは化け過ぎて、まさに手に負えない感じ。

ポップスというのはメロの繰り返しというマンネリをいかにして打開するか、印象づけるかが勝敗の分岐点となるのだけれども、ここに収められている楽曲からはそのマンネリズムが徹底的に排除されているからとんでもない。いや、共存しているのか。

それは声の使い分けという技術的な方法はもちろんのこと、キメ細かな音符の割り振りを持ち込む、すなわちコード進行やオケという用意された土台をもとにして、閃めきとして生まれた変則を持ち込むことによって、聴き手にも常に発見を導き出すような、偶発的かつポジティブな計算高さに見えてくる。もちろんそれはこれまでの (といってもまだまだこのアーティストのアルバム履歴はたったの 2 つ!) カタログの中でも見られた事象ではあるのだけれども、ここまで研がれているとこちらは脱帽するより他にない。

楽曲主導型のアルバムでありながらも、アルバム主義としての包囲も充分。クールなリズムセクションがアルバム全体を支配していながら、「蹴っ飛ばせ!」 の前奏で聴かせるシンセのリフなんて、明らかに歌謡ロックに対するオマージュだし。なるほどライブ DVD で魅せた 「プレイバック Part2」 はダテじゃないってことか。前作では少々野暮ったく感じた日本的アレンジが 「ドラマ」 では案外と効果的なアクセントになっているし。

いやぁ、まいった。たった一日だけでこれだけ発見があるんだから、あと一週間聴いたら収拾のつかないことになるんじゃない? こんなアーティストがもしも毎年アルバムをリリースしたとなったら、他のアーティストは商売あがったりだわ。学業に専念して、3 年に 1 枚くらいのリリースで常にびっくりさせてください。とりあえず、今日だけでもう 5 回くらい聴いてるよ、これ。

もちろん悪評をたれるのは簡単なんだだろうけど、その前にこのアルバムの凄さをちょっと感じてみてもいいと思うよ。これほど余裕ある音源をプレゼンしておきながら、ラストトラックではお遊び (クレジットに着目!) をかましているという、とことんな余裕綽々ぶり。

本当にまいった。こんなに最初から面白いなんて感じちゃうと、後々飽きそうで怖いんだけど。大丈夫かなぁ。でもこの声、聴けば聴く程に骨抜きにされちゃうんだけど。

cf.
宇多田ヒカル "Distance" P:2001