デスクトップマシンの画面には HDD チェックのユーティリティが懸命に動作している様が展開されている。 「Time Remaining」 は一時間弱。ようやく折り返し地点。現在、マシン不調につき OS のセットアップ中。月曜日に手をつけ始め、あっさりと終わる予定が次から次へと不規則なエラーの大連チャンに見舞われ、ついに週末にまでもつれ込む有様。
きっとこんなのはよくあること。よくよく考えてみるとコンピュータの専門家なんてものは存在しそうでなかなか存在しなさそうな。ソフトウェアからハードウェアに至るまで、蟻の一穴すらも漏らすことなく、文字通りコンピュータに精通しているような人間は。
で、残り時間を潰すべく床に寝転がり、弟のノートパソコンにて文字を打ち連ねる。バックグラウンドミュージック、いや、真正面にスピーカがあるというリスニングの基本体勢を取っている以上、現時点での 「主役」 になっている音楽は coaltar of the deepers 。 94 年にリリースされたこのアルバムはメジャーレーベルから発売された唯一の作品だったはず。
「はず」 という曖昧な表現には意味があるようで、とりたてて大した意味はない。なぜなら、今この平面上に広げられている内容に意味などはなく、練られるという過程を経ることのなかった、時間つぶしの会話にも似た場つなぎのどうでもよさだけがあるのみだからだ。
そして coaltar of the deepers 。
音楽はいつから意味のあるものになったんだろう。言うならばアディクション。意味や論を抜きにしても楽しめることが音楽の一つの魅力であったはずが、今や音の一つ一つに意味を持たせ、意味を読みとり、あまつさえ意味を含ませようとする暴挙がまかり通る。音を買い取っているはずが、歌詞を買い取っている不思議な現象。音を作る技能を持たない人間が、音を牛耳っているように見せかけている現状。音を 「加工」 する人間が陰から収入のほとんどを支えているというのに、主役になっているのは偶像。海外の言葉を借りるならば 「アイドル」 。言葉の定義すらも置いてけぼりにされている今、アイドルという単語は同時に 「カリスマ」 を意味する。大袈裟な人間が単語をさらに歪曲するならば 「ファシスト」。
うむ。何も悲観しろという訳じゃない。悲観に暮れる人がいるのならば、とりあえずその肩をやさしくたたき、彼 / 彼女が振り向いた瞬間に頬を張り飛ばしてやるといい。悲観論者なんてものは単なる視野狭窄に陥っているだけの人間なんで、そんな人物の言葉に耳を貸しちゃいけない。
市場が広がるならば、二次的な現象として、嗜好の細分化が行われてもおかしくはない話だろう。だから coaltar of the deepers を支えるファンは、もう 「もっと売れろ」 「理解できない人間は子どもだ」 などという下らない言葉で、この、細分化され過ぎたパーツの何もかもを呑み込んでしまい、挙げ句の果てに居場所を失ってしまった彼らのサウンドを貶めるような真似はやめよう。とりあえずこのバンドは 「このバンド」 が主導権を握っている。ノーギミック。いや、ギミックとパターンが次から次へと訪れ、しまいには抽出すべき掌握ポイントを見出すことができなくなっているのか。解釈不可能。
誘蛾灯に群がる蛾が感電死するのは本能がそうさせるがゆえ。それを見つけさえしなければ、次のシーズンのために毛虫を量産することもできただろうに。たまたまそこに光があった。たまたまそれを見つけてしまった。たまたま感電死してしまった。いや、もう死んでいるのだ、どうやったって理屈など通りゃせぬ。死人に口なし、脳もなし。
「思想あふれる音楽」 それもよかろう。具体性が過ぎるが故に、スポーツ新聞と芸能レポートに餌を与えている音楽だって音楽だ。
「手の込んだ音楽」 ウェルカム、ウェルカム。
それだけが評価の基準じゃない。基準値が端から存在しないものだって、世の中にゃたくさんある。その正体すら定かではない事象を受け入れ、疑問を抱くことなく左から右へと受け流す。追及すべきものに割かれる時間はしばしば無駄とされる。
火の玉はプラズマ? 燐? それともやっぱり霊魂?
心はわけがわからない。考えもわけがわからない。わけのわからない考えに支配され、考えが導き出され、アルコールの血中濃度が高まっていながらも睡眠導入剤を服用し、布団に入ることなく時間を潰してしまった時のあの取り返しのつかない間を合法的に導き出してくれる薬物の一つが coaltar of the deepers であることは間違いない。効く者には効き、効かぬ者には全く効かぬ。リーゼ、 デパス、 ハルシオン、 ホリゾン、 ロヒプノール、 and so on / goes on 。処方ミスの転嫁先はない。
註釈。ここでの断言は自分自身にのみ意味があり、先も述べたようにこの場には内容などという大それたものは微塵もないのだから、第三者がこれを白湯で飲み下すわけにもいかない。