2001年06月22日

EXTERNALIZATION 1 / SADESPER RECORD (1999)

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狂ったように聴いております。というか、ものすげー BGM テクノ。

ミニマルなリピートと変化。変化と展開のタイミングをどの位置に打つのか、楽曲の中における飽くなきワンパターンをどこで打破し、そして帰結させるのか。

傍目に聴く分にはのっぺりと退屈でしかないテクノも、この着目点を見つけた途端に奥行きが現われる。そしてそのテクノが面白いかどうかを個人的に評価するポイントは、鏡面と反射面とで説明することができる。

予め断っておくと、僕はテクノ好きとは言えない。ただし好きになるテクノには没頭しやすい。さて、先に挙げた鏡面と反射面。鏡面はその通り、鏡の表面。すなわち聞き流せる音源としてのテクノ。鏡面はガラスとしての凹凸を持つことなく、クリアであるからこそ入射した光、すなわち像をスルーさせている。そういった当たり前の気遣い、もしくは当たり前の合意が前提にあり、だからこそ鏡であるともいえる。

あるべき所にないことが違和感にもつながる 「バックグラウンドノイズ」 にも等しい存在として聞き流せることがまずはこの前提。前提の段階で個人的な居心地の悪さを感じてしまったならば、その時点で僕との相性は悪いことになる。色のついた鏡面や、触っただけで割れてしまいそうな鏡面、もしくは突飛な鏡とか?

次に反射面。反射面の素材によって変わってくる反射率。光として鏡の中に入ったリスナーは、反射面に向かった自分の姿と対峙した時に、どういった意識、そして感覚を持って接するのだろうかという観念的な意味でのテクノ。磨き上げられた鏡面を通り、楽曲の内部へと入り込んだ際に、そこで入射した角度のままに屈折しようとする光筋の原子をどこまでつかみ取れるか。作り手が仕掛けた音遊びにどこまでついていけるか、どこまで付き合いきれるかという、遊び心の同調性やチューニング次第で、如何様にも解釈や回遊の選択肢が発生し、それが一つ所に落ち着かない楽しさを味わう。

鏡に映っている像はそもそも光の反射によって一時的に生み出された色の集合体であり、しかも平面だというのだから、入射した時点で既にデフォルメ甚だしいわけだ。じゃ、その都度都度の一時性を楽しむために、鏡は用意されているともいえる。

用を済まし、洗面台にある鏡を見ずに手洗いを出ようとしたその瞬間、引っかかった何かが自分の足を引き留め、結局の所はなんて事のない自分の顔をついマジマジとのぞき込んでしまった時の、あの精神的トラップにも似た。

実は鏡に入りこんでしまった自分に気がつかず、それを中からたたき壊して出口をわけもなく隠蔽するような、そんな曲構成もまた鏡を呼び起こした一因ではあるのだけれども。

早い話が、僕と NARASAKI の相性の良さを自慢したかっただけなんです。 NARASAKI ラヴなんです。CS プログラムに coaltar of the deepers として出演していた NARASAKI も、しっかりと録画してもらったほど NARASAKI に夢中なんです。シブがき隊で言うところの 「Zokkon 命」 ですとも。命と書いてもちろん 「ラヴ」 です。はい、ラヴ。

ただその一言を言いたいが為だけに、こんなにも長々と文章を書いているんです。文章なんてものは、長ければいいってもんじゃありませぬ。整理もできず、意味もなく長く書き、そんな自分を叱咤するそぶりを見せて悦に入る人間ほど、実は思考も拡散しがちなんです。

とかなんとか、ありもしない一般性を作り上げて自分を正当化しようとしたり、副詞的表現を過剰に頻発して用いて (←まさにこんな感じ) 大きくみせようとしていたりもしていますが。ええ。していますとも (訳もなく開き直り) 。

嗚呼 NARASAKI、あなたの脳内で同居してみたい。

cf.
SADESPER RECORD "EXTERNALIZATION 1" P:1999