2001年07月01日

音を自らの肉に変える儀式 (ネットワークウォークマンを使う)

こんな物をもらった↓



後ろに写っている VAIO ももらい物。そしてこのネットワークウォークマンももらい物。メモリスティックで再生しちゃうヤツですな。SONY の NW-MS9 。前オーナーである妹が 1 ヶ月程でカバンの肥しにしていたもので、多少傷ついてますが。

使ってみましたよ。

「OpenMG Jukebox」 を使ってのエンコード、チェックイン&チェックアウト、割と面倒です。メモリにデータを転送する際に、 ATRAC3 でエンコードされていることが前提になっている以上、致し方ない段取りではあるのだけれども。

ソフトの操作云々はこの際どうでもいいので、とにかく音。やっぱ実験君の血が騒ぐわけで。ソースに使ったのは鬼束ちひろの 「月光」 。カラオケで歌ってみたら、思った以上に譜割りが難しかったあの曲です。どの曲だ。

まずは素直に CD から OpenMG Jukebox を使っての ATRAC3 エンコード。 ATRAC3 は MDLP でも採用されている方式なので、音質は MD (正確には MDLP2 水準) に準じるわけですが…あのー…良いっす。

そもそもこのプレイヤー自体が軽薄短小。持ち運んで使うことが前提なのですよね。アウトドアユース前提。オリジナルのソースに忠実かどうかという、音質的価値を押し下げる以上の魅力があります。使ったイヤホンは同じく SONY の MDP-E888 。インナーイヤー型のリファレンス機なので、出てくる音も素直。前奏でのピアノの音場感、ギターの質感、そしてボーカルの顎の開き具合。どれもこれも問題ないです。室外で聴くならばそんな細かなところまで気にしないし、ましてや 「屋外聴き比べ大会」 なんて馬鹿なことをする人間もいないだろうに。もう全然 OK で。

で。 Microsoft がやたら積極的に売り出している 「Windows Media Audio 8」 でもエンコードしてみました。それもビットレートは 96kbps で。一度 wma ファイルにしたものを OpenMG Jukebox を通して ATRAC3 に変換。これがまた面倒。

1. wav ファイルを wma ファイルにエンコード。
2. wma ファイルを ATRAC3 ファイル にエンコード。
3. ATRAC3 ファイルをスティックメモリに転送。

うがー。俺だったら、さっさと MD に録音するね。エンコード & 転送中のあの無音の時間が気にくわない。役所の窓口でたらい回しにされているのと、やってることは変わらないよ!

音質の話。やや華やかになります。色が乗る。特にアコギのピッキングにそれを強く感じたのです。人によってはこれを 「下品になった」 というのでしょう。音を評する際の表現という物は難しい物です。聴き比べでもしない限り、何が悪いのかもわからないはずです。断言。なお ATRAC3 での 96kbps エンコード (正確には 105kbps) は試してません。だって、面倒くさくなってきたんだもの。

結論として、この低ビットレートでのエンコードは悪くないと思います。いかんせん容量がミニマムに限られているフラッシュメモリプレイヤーなんで、音質は 「気にならない程度」 という最低基準さえクリアしていれば、あとは筐体のコンパクトさとバッテリーの持ち時間だけを追求していけばよいのだと。それがこの種のプレイヤーのメリットではないかと。

一体、誰が、無騒音な室内でこの種のプレイヤーでじっくり音を楽しむというのだ。そもそも音をじっくり楽しもうとする人が、この種のプレイヤーに手を出すはずもないわけだし。

さてと。この NW-MS9 のみに焦点を当てた話を最後に。

問題は、やっぱりメモリの容量です。 64MB のスティックが入っているんですが、1 曲 5MB 前後なのであっという間に満杯。コストパフォーマンスを考えると、本当にユーザーの自己満足の域を出ない。 「新しい物好き」 な人間が買う機械じゃないっすかね。技術の進歩には素直に感動するけど。

いや、実はハンパなしに欲しかったので、もらった直後は小躍りしながら楽しんじゃったんですが、ちょっと考えてみれば、この機械のためにスティックメモリを新たに買うのはバカバカし過ぎるし。これだったら多少かさばっても MD に記録した方が、何かとお得だよね。精神衛生上もさぁ。で、妹がすぐに飽きた意味も、すぐに分かった。

音楽を記録している時の、あの 「聴きながら録る」 という間は、音を楽しむ一つの重要な時間なんです。僕がいまだにオーディオ用 CD-R を使ってレンタルした CD をダビングするのには、そういう心的理由もあったのか。今、気がついた。

音を更に自分の物へと近づけるための、ある種の儀式ともいえる行為。それが省かれると言うことは、音と自分との接点が、何か一つ遠くなってしまうということ。

エンコード作業における間というのは、心に影響を与える音楽という存在に対して、退屈や苦痛を作業に生み出してしまうようにも思える。その間が増えれば増える程に、音がどんどんデータ化されてしまう気に。 「古い」 と言われるかもしれないけど。

ふぅ。僕は一日で飽きた。