2001年07月22日

bloodthirsty butchers / 2001.07.22 表参道 FAB

表参道 FAB での bloodthirsty butchers と the pillows の対バンを見てきました。両バンドとも初めてのライブ。両者とも好きな自分にとっては、この組み合わせという時点で泣けるほど。それに bloodthirsty butchers の新曲には既に先日記した通り、かなりヤラれていたので。

さて、ここから書く表現はかなり大げさです。アホらしいロック雑誌の幼稚園生ノリになりますが、勘弁してください。自分にとってそういうライブだったのです。あえてその日のうちにパッケージしておこうと。日付は変わっておりますが。

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ライブは常に 100% の状態からスタートするわけではない。波を徐々に右上へと運んでいく作業は、奏者と観衆が同時に働きかけるものであることを、まずは思い知らされる。 1 曲目よりは 2 曲目が、そして 3曲目へとセットリストが進むに従い、音と反応とがその両翼を伸ばしていく。気がつく頃には既に音は満ちてしまっていた。

どこまでもかき鳴らされるギターと、変化のタイミングを予想させないアンサンブル。まずは目が飽和を訴えかけた。命じられたかのように目を閉じ、確かに聞こえてくる三体の音を耳に取り入れる。間もなく耳もまたギブアップを宣告し、視覚を持って情報不足を補うよう指示を出す。従うままに見た先には、ピックアップを口元に寄せ、息を吹き込む吉村秀樹がいた。やみくもにリズムに身を任せるでもなく、歌うでもなく、ステージから溢れてくる物をただ身体に受けるしかない自分は、音として理解する間もプレイとして納得する隙も与えられず、聞こえるが見るがままに受け止めるがせめて。足に生える毛も音に震えた。それは粒が潰れた結果ではなく、形を崩すことなく身体を包んだからに他ならない。これがステージ上に存在する物だけで造形されている代物なのか。

定形たりえないココロが書き残した音もまた同様に、定形であることを潔しとしない。今日のココロは明日のココロではないことを、肝に銘じるかのごとく、刻みつけるかのごとく、その時限りのココロの感応現象であるところのライブが目の前で展開されている。都度、それを確認するかのよう、曲間には緊張感がみなぎる。たとえ記録媒体が情報を留めたとて、各々の時々に移ろうた心色を残すことはできない。反応を欲するからこそ、その場限りの音を求めに人は足を運ぶ。音以外の何も介在し得ない感応の領域は確かに存在する。

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面倒くさいことと、当日は疲れが先に立つということもあってライブレポはあまり好まないのですが (先週も実は土壇場で西武ドームの B'z に行けたのだけれども書いてはいない) 、今日のうちに書いておかないといけないことがあるような気がして書き留めてみました。 2001年上半期の音楽的邂逅は bloodthirsty butchers と coaltar of the deepers の二者に尽きるのは間違いないので。

the pillows のアクトに関しては、後日気が向いたら。