2001年09月09日

語り部の熱意、受け口への効力

高校時代の後輩と映画を見に行く。渋谷で映画を見るというのは、実に 『もののけ姫』 以来のこと。そして今日見に行った映画もやはりアニメーション。マイノリティアニメーションにしておくにはもったいなさすぎる 『COWBOY BEBOP 天国の扉』 。

感化され、それを伝播しようとする物の言葉はえてして大げさになり、事の本質は言葉という脂肪に埋もれてしまい、結局のところ伝導率はなかなかに上がろうとしない。食べれば食べる程に増える贅肉に等しい。シンプルにかっこいいと思えるものであればあるほどに、解説ないし修飾目的に綴られる言葉という媒介は胡散臭さを増しやすい。それは語り部の熱意に正比例し、受け口への効力は反比例する。

などと考えていたら、入手したパンフレットにも全く同様のことが書いてあった。言葉を使う伝道者の多くは、使っている道具の軽さも知っている。文節を重ねれば重ねる程に、核への距離は往々にして遠くなる。字面稼ぎの文章は看破の材料に事欠かず、かといって直截な文章が含みをもつことも難い。百の事実と主観を前にした言葉は、無意識にコントロールされている呼吸にも似て、それを意図した瞬間に制動からかけ離れていく。

一つ所にまとまらない対象物を捕まえようとする時にも、これを映し出そうとする言葉は拡散し、やはり伝わらない。伝わらないことを伝えようとする努力は、時にして無力。それならば、僅かな同士を糧にして、共感しながら生きていくことも決して悪いことではない。

言い換えるのであれば、1g を 1000mg と表記するような論評としたり顔の解説なんて、その多くが意図的にカスだー、ということ。そして自分はカスの端くれ。すなわちレスザンカス。微細以下だ。自分の目と耳だけで収めておけばいいこともある。むしろその方が平穏。

映画楽しかったな。サントラは B.G.M. にいいな。

cf.
シートベルツ "COWBOY BEBOP Knockin' on heaven's door O.S.T. FUTURE BLUES" P:2001