2001年09月18日

消費された 1/3 (happy end / bloodthirsty butchers)

物事にハッピーエンドがあるのであれば、ではなぜスタートラインがマイナスに設定されているという事実がここにいるのでしょうね。

答えなんてものは出ないし、今ここにいる自分という事実こそが事実であるというのに、それでもハッピーエンドなんて無いならば、アンフォーチュンという言葉に、考えうるありったけの呪詛を振り掛けて火をつけて、少しくらいは満足できるように、頭が単純に出来ていればそれに越したことはないのにね。

こんな調子で行ったり来たり 「のほほん」 が 「あわわわわ」 に変わりながらも、僕の 1/3 は浪費されてしまったのか、それともこれは必然の消費なのか。沈みゆく日々を糧に出来れば話は早いのだが、考え始めるときりがなく、三歩進んでは二歩下がる。下がるのが二歩で済むくらいならまだしも、三歩進んで三歩下がるのならば、何のために三歩進んだのやら。それでも付き合い続ける、順調に行って残り 2/3 。

受容の前に回避をするなら、はじめからそこにいなければいい。聖人君子が無理ならば、専制君主も不可。ダメダメ尽くしを承知の上で、どこか遠くへ連れて行ってと言うならば、その前に遠くへ行く方法をひもといて、どこか遠くに動力を求めることから始めなくてはならない。

cf.
bloodthirsty butchers "happy end" P:2001