尾崎豊を聴く。没後 10 年という節目にあって、どこかが仕掛けたのか、本当に自発的なものであるのかは疑問なのだが、 4 月はやけにメディア上で 「尾崎豊」 という文字を見かけた。
こういう機会でもないと、また尾崎豊を聴く機会を逃す気がして、思い立ってレンタル CD 屋に足を運んだ。借りてきたのはベストアルバムではなく、僕の記憶上では、尾崎豊の傑作アルバムと謳われていることが多いように思えた 『十七歳の地図』 。 1983年 作品。
ドラマで使われることによって、ファンにとってのマストアイテムから一般的な名曲へと脱皮した 「I LOVE YOU」 、同じく 「OH MY LITTLE GIRL」 という、有名どころのバラード曲を中心に、レジスタントロックの代表ともいえる 「15の夜」 「十七歳の地図」 などが収録されている。といったところがアルバム概要か。
僕にとっての尾崎豊というのは、まったく縁のない世界の音楽、むしろ、敬遠していた。それはおそらく、 「感化される」 というほどにセンシティブな思春期を送る必要が自分にはなかったからなんだろう。窓を壊すことに 「破壊行為」 以外の意味を見いだせなかった小学生にとって、 「卒業」 なんて曲は、長尺なだけの、退屈な音楽だったのだから。
さて、尾崎豊を知って、もう十数年。 2 曲連続でこのアーティストの作品を聴いたことは、過去に一度たりとも、ない。かなり構えて再生ボタンを押してみれば、なんだ、大したことないじゃないか。 「SONY ミュージック」 の洗礼を受けて育った僕なんだから、尾崎豊を支える音色が嫌いであるはずがない。だって僕の耳に届いた音は、大江千里、佐野元春、渡辺美里といった 80 年代後半 〜 90 年代初頭にかけての 「SONY ミュージック」 の公式から一歩も外れることのない音だったのだもの。
もっと率直に言うならば、この音作りからすると、尾崎豊という位置づけはレコード会社的に言うと、 「ポスト元春」 だったんじゃないか、と。 元春世代がその後高層ビル街に出入りするような洗練された要素を求めていたのに対し、より地面に近いところで闊歩する 「指標を求める十代」 をターゲットにするためのアイテムとしてぴったりだったのが、この尾崎豊というキャラクタだったのではないか、と。
社内差別化を図るとすれば、詩を中心にしたキャラクタに目が向けられるのも当然のことなのだろう。ただし、何か突出したものがあると言うほどでもなく、ごく普通に 「メッセージソング」 が詰まっている。ただ 「普通」 から何か違う点をあえて挙げるとするなら、 「懐かしくなりやすさ」 が挙げられるように思える。 「あの頃、あんな曲を聴いていたな」 と目を細めることの出来るキャパシティがあったからこそ、今も、残るべき所に残っているんだろう。それは 「耳に残りやすい」 とも表現できる要素かもしれない。
メッセージが若者に共感を呼ぶという現象は、今も昔も変わらない。そしてプラスアルファの要素として、何か谷間に入り込んで離れなくなる、ザラザラした表面があったからこそ、曲は一人歩きして遺ってしまうのだ。それだけだったら、曲もそしてアーティストも死に体でしかのこらない。その後、何も新しく開けるものもなく、忘れられてしまう。ましてや、故人であればなおのこと。
アルバムには、その死に体なイメージとしてある 「尾崎豊」 からは随分とかけ離れた、ポップなアレンジが並ぶ。尾崎豊という人物の楽曲であると気づくのは、 A メロにボーカルが入ってからであって、そこまでは、何ら他の 「SONY ミュージック」 と変わらない。だからこそ相対的に、自分がそこに気がつくのにあまりにも時間がかかりすぎた 「尾崎豊のコア」 が明確になってしまった。
「色褪せることなくのこる曲」 とは、その時代を特徴づける編曲、音作りに左右されず、メロディと、そして歌詞だけが分離されて生き残るようにできている。そんな分かり切っていることに気づかされたのが、 「I LOVE YOU」 を宇多田ヒカルが歌って見せた時だったというのは、自虐的な気分にさせるには十分な体験談といえる。そして、このアルバムに収められ、後に名曲と呼ばれるようになる 2 つのバラードは、「SONY ミュージック」 などという安易な言葉に収められるはずのない、逸脱した普遍性を持ってそこに収録されていた。こうなるともう、アーティストが云々、ではない。曲がそこにあるべくしてあり、のこるべくして生まれたのだというやつだ。それを生んでしまったから、余計な要素も全部ひっくるめて 「尾崎豊」 という像が出来上がってしまったのだろう、と思い至るわけだ。
今になってみれば、現役当時に全く聴かなかったことで、 「今じゃ絶対に手に入れることの出来ない、当時の王道の音色」 、しかも 「今まで自分が聴いたことのない譜面であること」 という好条件に恵まれている最後の砦が尾崎豊ということになる。言い換えるとそれは、口元に笑みを浮かべて 「血気盛んだね」 といいながら、あの当時の音作りに耳を傾ける、ということだ。
とりあえずは、これまで特徴といった特徴が見えなかった西本明の手癖が見えたことが何よりも興味深い。そしてまさか、今になって大江千里と尾崎豊が一本につながるとは思ってもみなかった。もしかしたら、今後、また別のアルバムに指が伸びるかもしれない。聴いたのが今だからこそよかったのかもしれないが。
僕はふたつの心、優しい陽射し、街路樹がバラード系が好きです
Posted by: 根矢貴之 at 2004年02月16日 12:01