時間をかけてこなしてきたことの、それが終わろうとする時の寂寥だけが自分の時間を費やそうとするモチベーションなのだと、ここ数年そう思いこんでいた。ところがどうだろう。何度か繰り返してきたはずの終わり、もしくは区切りを迎えてみたところの今の気分といったら。
一つの区切りが一つの堆積になると、頭でわかっていることと、いざそれを、今という年になって実際に迎えてみることとの、この激しい落差はなんだろう。それは段差というにはあまりにも恐怖が勝るほどの落下を伴うものではなく、気がついたら押し上げられていた地点で見下ろす爽快感、落下することの快感を想像したくなるシチュエーションにも似ているのかもしれない。
もういいよ。少しは休ませてよ、と言ってふらりとする時を夢見ることも、区切りを迎える一つの楽しみ方。次は何があるかしら。もう少しだけやってみようか。実は飽きてるけど、でもちょっとだけね、と言ってだらりと今が続く時間をこなしていくことも、無理に区切ろうとしなくてもいいラクな楽しみ方。今は後者。