2002年11月20日

CCCD の明日ってもしかして・・・

[ CCCD]

気がついたら、店頭でも CCCD のシールが目立つようになってた。

びっくりしたのは CHAGE & ASKA の新譜が CCCD だったということ。あり得ない話ではないが、自分にとっては意外性たっぷりでかなりびっくり。

まさかの SONY も CCCD 導入 へ。

Victor が CCCD を導入した あたりから、状況が一気にきな臭くなったとは思っていたものの、まさかこの一年でここまで CCCD が広く認められてしまうとは。先鞭をつけたメーカがバッシングを受けたことをにらんで、各社、CCCD の音質向上に努めているけれども、どのメーカだって、こんな後ろ向きの新技術など導入したくないだろうに。 K2テクノロジー(ビクター)は、CD をより高音質にするための花形技術であったわけで、CCCD の底を上げるための技術に冠されるバッジではなかったはず。

それでも後ろ向きの姿勢を発表して、カタカナ技術の単語でごまかそうが、無理矢理にだろうが、CCCD の正当性とともに、企業努力の宣伝と技術にコストを掛けなければならない辛さが、レコード会社の世話になってきた一音楽ファンにとっても辛い。

CCCD バッシングに関しては、いろんなサイトが熱かったり激昂しすぎだったり、でもやっぱりみんな音楽が好きでCDが好きでという人たちばかりで、最後に残るのはむなしさだったり。

今回の SONY による CCCD 参入発表で、音楽メーカそのものの良心を疑う旨のコメントも多数見受けられたけれども、企業がある程度成立しないことには、安定した流通も成立しにくくなるのが、今の世のシステムじゃないかとも思う。宣伝能力を有するバックを味方につけないことには、芸術なんて流布しにくいのでは。

また、ミュージシャンの発するコメントに対しては、扱いにおいて少しばかり慎重になるべきじゃないだろうか。なぜなら、ミュージシャンが流通に持つ力は、貢献度やネームバリューといった経験値的側面によって大きく異なり、言葉を発しても揺らぐことのないアーティストは、何を語っても安泰だ。そこを考慮すべきだろう。だから、少し冷静になろう。

いっそのこと、SONY には本当に SACD を大普及させて欲しい。あれほど PC とオーディオとは棲み分けていきたいと思っていた自分なのに、なし崩しに PC で CD を複製している。音を聞きながらのリアルタイムコピーの精神を忘れたら、音楽そのものの重さが失せるだけだと、経験的にわかっているのに。

CCCD という言葉に、なぜこれほどまでに虚しさを覚えるかというと、自分はレコードから CD に移行する時代に生きていた世代にあり、レコードの音質に何らノスタルジーを覚えないが故に、CD の全てを受け入れてきたからなのだ。 レコードに比較すれば、CD ははるかに高音質で、はるかに扱いやすく、そして何よりも、音楽と自分との距離を限りなく近づけた存在だった。だからこそ、突然、掌を返されたようなショックから、今、寂しさへと転じている中にある。

メーカがどうのこうのと叫んで虚しさを感じるのは間違いであって、本来その言葉が向けられなければならない相手は、今日、きっと同じ電車に乗っていたはず。同じフロアで仕事をしていたはず。同じ料金所を通っていたはず。同じコンビニで買い物をしていたはず。もしかしたら挨拶をすら交わしていたかもしれない。笑顔で。そして音楽について談笑していたかもしれない。そして疑うべくもなく、CCCD という現状の落とし子を生み出してしまったその行為は、自分の腕によっても実行されていたはず。

I guess, there will be no tomorrow for ...

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