先日発売された PET SHOP BOYS のベストアルバム "PopArt" 。この初回盤についてくる リミックス集 "Mix" を聴いている。ただのオマケに終わらない、 BGM として流していても気持ちよく曲を楽しめる良質のトラックスになっている。だからどんどんボリュームが上がって、これを書いている今、部屋はちょっとしたディスコ状態。これはファン必携のアイテムだわ。日本のダンスもののように、つんざくような高域で耳が痛くなることもない。そして、音が漏れにくい部屋というのは素敵だ。もちろんアルコールも気持ちいい。
使っているスピーカーは tr.8 "New York City boy (Lange mix)" のキックベースを気持ちよく再生してくれる。エネルギー寄りのシステムなのでこういう音楽には向いているけれども、正直、このところ聴くようになったクラシックには全く向いていない。なまじ雰囲気重視のシステムでクラシックを聴いてしまったからに、余計に寂しく感じる。
さておき、アーリー PSB やその当時のリミックスものを聴くと、どうしてあの当時 WINK がウケたのかがよくわかるよな。 TM NETWORK も一時こういうのにかぶれていたっけ。洋楽も邦楽もへったくれもないってのは、こういう音楽を聴くと切に思う。 「洋楽カコワルイ」 なんて言っているのは、高校生レベルまでの語学コンプレックスをたっぷりため込んだ (かつ音楽マニアな) 青少年だけだろうし。この手の土俵では、地域的なアドバンテージなんてものは時間があっという間に埋めてしまうのだ。
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どうして K-POP (Korean-Pop) がウケないのか、というアーティクルをこのごろ目にする機会が多い。これって韓国語の持つ音のアタックが、日本人の耳にはファニー過ぎるからじゃないのかな。日本語も同じだけど。日本語から遙かに遠い英語は、単語レベルでの音が有機的に連結しやすいことから、譜割りを超えた一体感が生じるように思えるんだよね。統一感がないから、言葉の塊として雰囲気で味わえるというか。
一方、韓国の言語をギャグとして利用するときに 「…ニダ」 という語尾を利用するのは、耳に残りやすい統一感が、語尾という最も聞き取りやすい部分に残ってしまうからなんじゃないのかな。カラオケボックスに入って、 BoA の曲を韓国語バージョンで歌ったときにそれを実感したんだけど。あれは、確かに格好悪いのだわ。日本語の RAP でも過剰な脚韻がかっこわるさを招くのと全く一緒。
もし K-POP を大々的に日本に導入したいのであれば、歌詞の振り方を研究してみるといいのかもしれない。言語の持つ柔軟性を最大限に利用して、ウケたい市場に向けてチューンを施すのだ。もしくは、なぜフェイ・ウォン (王菲) の歌が日本人の耳にも心地よく聞こえるのかっていうところから分析していけば、K-POP も日本にすんなりと入ってこれるのかな。
cf.
PET SHOP BOYS "PopArt" P:2003