2003年12月05日

Blue Selection / 井上陽水 (2002)

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奇しくも、中森明菜、福山雅治が、ジャズアレンジの 「飾りじゃないのよ涙は」 を立て続けに発表した後に、本家本元が腰を上げてこの曲をジャズテイストにセルフカバーしたことは、井上陽水の楽曲がジャズ風に解釈されることの正当性を裏付けていると見ることもできる。

陽水の声は、もともと夜に対する親和性が強い。だからこそジャズないしアコースティック風という雰囲気重視のアレンジが施される以前に、それにふさわしい曲がチョイスされた時点で、ある程度の完成度は約束されることになる。バックを固めるのも名うてのミュージシャンばかりなのだから、演奏に破綻や無理が生じることもない。

声の持ち主が声にあぐらをかいているわけでもない。思っていた以上に陽水は演技派だ。一曲の中にある繰り返し一つ一つにも異なる色の襞を重ね、光源を変えつつ曲という池の畔を歩き回っている。自分の影が如何様に映るか、察知しながらフレーミングに配慮しているのがよくわかる。だからこそ、枠という雰囲気を重視している作品にも、そして原曲という一つの完成形にも潰される事がなくなる。

その老獪さを冒険心に欠けると見るきらいもありだけれども、どのような世界やアレンジが来ようが、結局のところは、曲も聴き手も声に服従させられてしまう。この声を無視する術を持たない。

絶対的な名刺がある限りは何をやっても冒険にはならないところに、陽水の面白さ、いやらしさ、わけのわからなさなどなど、誰もが抱くだろう何かしらの印象が発生してしまうのだ。こういう人はもう、何をやっても怖いものなしだ。

Best Track
tr.5 「カナリア」
ファンタジーとは異なる、中近東のお伽話。切り絵を飾る赤いセロファンと薄墨が描く、パラレルの千夜一夜。これを聴くと、もうオリジナルには戻れない (僕は、ね) 。

cf.
井上陽水 "Blue Selection" P:2002

TBadmin
この記事へのコメント

>一曲の中にある繰り返し一つ一つにも
>異なる色の襞を重ね、光源を変えつつ〜

このパラグラフに記述されているところに参りました。
ジャンルの異なる音楽演奏の話で恐縮ですが、
クラシックにおける繰り返しフレーズの演奏は、
まさにこういった「変化」の豊かさに、
どのような神経を行き届かせられるかに違いが表れます。

とりわけ楽器単体の演奏では顕著です。
プロといえど必ずしも自在な色彩変化が
可能な人ばかりではなく、私も子どもの頃は
「繰り返しってつまんないなぁ」と思っていたものが、
今では「楽しみな材料」と捉えています。

今、私が徐々にはまりつつあるジャズという
分野においては、「繰り返し」こそ面白い部分
なんでしょうね。

ジャズ的陽水、興味深く、わくわくします。
実は、これを読んで速攻でamzon注文してしまいました。

Posted by: しぇり at 2003年12月06日 11:00

毎度!

アルバムの発売に連動して、NHKで特番が組まれました。
そこで曲を聴いたときの印象が、ご指摘のパラグラフです。

ここでのアレンジは「ジャズ」ではなく、
ジャズ風もしくはアコースティックというべきなのですが、
バックをその枠組みにはめただけでは終わらないところに、
陽水のサービス精神があると思っています。

Posted by: 本人 at 2004年01月03日 18:57
一筆啓上仕り候









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