2003年12月21日

STREET WALKING WOMAN / Fried Pride (2002)

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Rock'n Roll Salaried Man さんのサイト で出逢った一枚。

ギタリスト横田明紀男と、ボーカル Shiho とのジャズユニット。とはいえ、このアルバムをジャズに分類することにはかなりの抵抗がある。ジャズ、ロック、フォーク、ソウルのスタンダードナンバーが並び、アコースティック (セミアコースティック) ギターと茶目っ気たっぷりのボーカルとが、時にまどろみあい、時に丁々発止で弾の飛ばしあいっこをしているような、やけに日常的な曲が並ぶ。

縦横無尽に快活。猫の目のように歌の表情が変わり、どっしり、ソフトに腰が据わる。穏やかな安産型。そういえば、TFM の公開ライブ後に握手してもらった手は、声とステージでの肝の据わりっぷりからは想像できないほどに、柔らかくしなやかだった。声の正体、ここに見たり。横田氏のそれは、広く、強い手のひらで。

さておき。

猫も杓子もカバーと言われる昨今、カバーへの是非が問われる機会も多い。が、それは昨日今日の安易な商業主義に流されるままの行為に対して問われるものであって、音楽の歴史からみれば珍しい行為でもなければ非難される行為でもない。そもそも、クラシックと呼ばれる作品が、指揮者や演奏者を変えて演奏されることと、カバーとは何が違う?

換骨奪胎のしやすさ、原曲のいじりやすさという点ではポップスフィールドにおける自由度は、クラシックに比べてはるかに高い。クラシックの場合、カバーという言葉を用いるのはふさわしくなく、指揮者による解釈の差とするのが正しい。その差によって、曲の表情は一つ所に留まることなく変わり続け、時間をものともせずに生き残っていく。

その 「解釈の差」 が、音楽のジャンルによって異なるという観点にたてば、カバーの是非を問うこと自体がナンセンスになる。もちろん、できあがった作品の完成度、好みの是非を問うことは否定されない。

このアルバムでカバーされているそれは、原曲のイメージが残っているものを探す方が難しい。ギター、ボーカル、これにパーカッションが加わるだけの編成であれば当然のことだろう。そもそも原曲の姿を残そうという意志すら感じられないほどだ。

曲そのものという素材は、何もせずともはじめから曲の中にある。それは解釈の差によって歪められる種のものでもない。生き残れる素材という主食は、新たな調理法が生まれてくる中でもいつまでも主食であり続ける。曲もまたしかり。では、どういった出汁の中に素材を放り込むかという、その出汁の仕上がりに力を注ぎ込もうとする意欲の塊が、Fried Pried の音には詰まっている。好きに曲をいじり、作り、楽しませてくれる。それを美味しく食べさせてもらうのだ。十分な贅沢じゃないか。

Best Track
tr.9 「BURNIN' UP THE CARNIVAL」
カーニバルの中央で盛り、そこにいる誰もが求めようとする炎が、頂点に至るまでの昂揚、興奮。それを 7 分 54 秒の展開に聴かせてくれる。音楽における快感を求める際に、余計な装飾は一切必要としない。身体ごと沸きたつときの、あの上昇系スパイラルに取り込まれ、気づくと一緒に歌わずにはいられなくなっている。圧巻。

cf.
Fried Pride "STREET WALKING WOMAN" P:2002


本文中リンク先 URL は 12.21.03 現在

この記事へのコメント

こんばんは。えー、あのー、連日コメント失礼致します(汗)。
このアルバムを教えていただいたことを心から感謝しております。
私にとって今年イチオシ!最大の収穫!となった
アーティスト発見になりました。

Fried PrideとPat Methenyソロとに触発されて
ジャズ開眼(ジャズ好きの方には邪道とされるかもしれませんが)にも繋がりました。
tr.9はギターの格好良さが、とりわけ際だつ極彩色の印象です。
個人的には、ファーストアルバムのシルキィなナンバー群
(Ifなど)も気に入っています。

Posted by: しぇり at 2003年12月22日 01:04

ジャズは自分がジャズだと思えばジャズということで(ほんまかいな)

Posted by: 本人 at 2004年01月11日 15:42