2003年11月25日

underwater / dip (2003)

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自分の中に、何かがぽつりと浮かんでくることがある。視覚的に表現するならば、グラスに注いだ水から浮き上がってくる気泡のようなものか。表面張力で踏ん張っている水面まで上がってしまえば、気に留めるようなことがなくなるグラスの中のそれも、自分という器の中ではそれを早々にリリースしてしまうか、少し泳がせてからこねてみるかと、遊びの余白、観察の時間を生むことができる。

行動言動全てにおいてリジッドであることは、その中心にある者にとっては理想の世界で心地よいものなのかもしれない。一方で、自分の中にある遊びだけを優先させて行動の源とするのであれば、傍目には奇人でしかなかったりもする。いずれにせよ共有世界を見出すか、視覚を閉鎖させるかを求めない限り、間もなく酸素を失い、気泡を生み出すことすら困難になる。挙げ句借り物のオキシゲンで延命措置を施すことになる。それは永くは続かない。措は錯に通じる以上、永く続かせるようなものでもない。

気泡をつかまえてペインティングしていく作業。内省の習作。 Bob Mould が独り 『Workbook』 で見せていたような自画像を、ヤマジカズヒデは存続させたバンドで描き直すことにしたらしい。中心に配せるものは自分以外にない。そして周囲は自分を見出すために配置した鏡である。奇しくも鏡はガラスでできており、ガラスでグラスを作ることもできる。グラスに注がれた水の中で溺死しかけていたヤマジカズヒデは、波とともに歪む自分の姿を、訥々と音として描き続けていた。鏡の表面に張りつく酸素の粒を食べ、極上な acid に替えて水面に送り出した。抜かれた魂を再び取り込んでいく作業、 TIME ACID NO CRY AIR が反タイトルとしてここに戻り、自由な呼吸を得た必要なだけの色が、早々に手放されることのなかった幸せな酸が、音として水面に押し上げられていた。

cf.
dip "underwater" P:2003
Bob Mould "Workbook" P:1989