先日記した 「2003年10月23日 ミュージックマシーン」 で取り上げた、タクヤ氏 「ミュージックマシーン」 の 「CCCDに関する感情論」 から飛び火したか、氏の MOK Radio 仲間? でもある 津田大介氏 「音楽配信メモ」 が 「うし、ってことでちょうど良いタイミングだから、CCCDに対する(ネット上で読める)意見大特集!!」 という気合いの入ったボールドとともに、 Web 上に記された CCCD に対する数多くのコメントをピックアップしている。
光栄なことに、ここに 「vox」 内の文章をピックアップして頂き、少しは 「え? CCCD ってこんなにあっちこっちで論議されているの?」 と新発見する方のお役に立てることに…なってくれればいいなぁと願う次第。
扇情的な文章や、情報収集の甘いものなど、細かいことを言えばきりがないのだけれども、そこに挙げられてる誰もが、 CCCD という存在に対して何らかのコメントを発しており、何かを肯定すると同時に、何かを否定していることがよくわかる。 CCCD 賛成論に対しても、反射的に否定するのではなく、ではなぜ賛成なのだろうかと考え、そしてそれを元に、自らが CCCD に反対する理由を客観的に見つめる材料とするためにあると思うべきだろう。
明らかに余談だが、先日も、そして今回も、僕個人の CCCD に関する直接のコメントはそれほど表に出していない。それらは、以前も今もあまり変化はなく、既にアーカイブという形で保存されており、幸いなことに、必要なら、もしくはアクセスした人の気が向けば、いつでもそこにアクセスできる状態になっている。僕は、 6 年間の Web 活動の上で、自分の感覚的創作物・メモを除き、ほとんどのコンテンツを 404 (Not Found) にしていない。また、そういったコンテンツを作っているつもりもない。
それは音楽も同じ、いや、むしろ遙かにそれ以上だ。作った以上、それはより多くの人の耳に届いて欲しいはずなのだ。感情的にも感覚的にも、そして商業的にも。しかし再生機器という媒体において確実にそれが再生されなければ、耳に届くことは 「確実」 とはされない。音質云々で語るのもいいが、再生の確実性が得られないことが、僕にとっては何よりの、 CCCD への反対意識を持つきっかけだった。
それまで CD というメディアに込められた音楽を、何ら問題なく確実に僕の耳に届けてくれた再生機器でトラブルもなく CCCD が再生されていたら、これほど CCCD に対する嫌悪感、反対意識、そしてやるせなさを何度も書き綴るようなことはしなかったはずだ。
作られた作品が、いつでもどこでも、それを再生してくれるはずの機器で再生されないのであれば、それを作品とするのには抵抗がある。再生されない作品を作品と呼ぶ道理が、どうしてまかり通ることがあるだろうか。
残そうとする意識が作品を創造する最大のモチベーションの一つである以上、それを再生する、再現する、保存する確実性への期待も、作り手は同時に強く希望するはずなのだ。
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