きっとこのアルバムは前作 『GREEN』 とワンセットにして楽しむべきなんだろう。 B'z ファンオチにならないように触れておくと、ここ 5 作のオリジナルアルバムは、97年 『SURVIVE』、99年 『Brotherhood』、00年 『ELEVEN』、02年 『GREEN』、そして 2003年 『BIG MACHINE』 という並びになる。
『SURVIVE』 と 『Brotherhood』 には、無視することのできない心臓がアルバムの中心に位置している。ところが 『ELEVEN』 にはそれがなかった。そこに気がついてみると、自分が 『ELEVEN』 というアルバムをあまり聞き込むことのなかった理由が見えた。
一方 『GREEN』 と 『BIG MACHINE』 に対するインプレッションは、 『Brotherhood』 までの最新 5 作への対応と見ることができた。それを 「RUN シンドローム」 などと名付けてみたいが、いかがなものだろう。納得してもらえるものがないだろうか。
92 年にリリースされたアルバム 『RUN』 には表題作 「RUN」 が収録されている。この曲は 98 年にリリースされたリクエストベストアルバム 『Treasure』 に 「1998 style」 として収録されているほどに、ファンからの支持が厚い。
そして 「RUN」 は、アルバム 『RUN』 における心臓である。一人で荒野を走り抜けようとする自分への応援歌、もしくは鎮魂歌として、アルバムという完結した一つの世界の中で、最大の求心力と統率力を持つ曲として扱われる。それは 「あがめられている」 としてもいい。 15 年の歴史にあって、数多い B'z の曲の中でもこれは 「神様」 級の存在感を持つ。それは B'z のライブツアー 「LIVE-GYM」 において、この曲が演奏されると同時に、会場の緊張感と共有意識が一気に高まることからも明らかである。それは他の楽曲の比ではない。
心臓から送りこまれる血を得る快感とでもたとえればいいだろうか。 『SURVIVE』 と 『Brotherhood』 には、表題曲という心臓が存在しており、やはり名曲級の作品としてファンからも大切に扱われている。ところがその心臓という、ある意味において非常にゴシックな存在への意識、渇望感が恒常的な高まりとしてあったがために、『ELEVEN』 はなんとも拍子抜けな、やけに印象の薄い作品として扱われるようになったのではないだろうか。心臓の力強い動きが、身体の末梢にまで血を伝える。何一つとして壊死することのないよう、責任を持ちつつ全身を支配している。それが欠けた作品に影を感じなかったのは、単に自分だけの印象なのだろうか。
そして 02 年 『GREEN』 。このアルバムは B'z の原点回帰とも言われた。それは 「ポップな B'z 、ここに復活」 ともとれる楽曲の取っつきやすさからかもしれないが、むしろアルバムのオープニングを飾る 「STAY GREEN 〜未熟な旅はとまらない〜」 の中でライトに描かれた B'z の前進意識が、 「RUN」 での生死をかけたシビアな世界観を経て、さらにそれを踏み越え、抜け出した上での軽妙な語り口で描かれていたからではないだろうか。
ゆえに 『GREEN』 は、 『ELEVEN』 のように 「あり得ない」 心臓のない身体のように存在を無視されることもなく、 「心臓ありきの肉体と精神」 という可視な作品として、自分の中で扱われたのではないだろうか。かつ、時に心臓の疾患が全身を苛むことがあるように、重篤ともいえる期待意識すら、あっさりと受け流しながらも無視はしないという余裕につながっていたのかもしれない。
03年 『BIG MACHINE』 。描かれている心臓は、今までのものと比較して、真新しいものなどは一つもない。が、心臓は確かに存在していた。 B'z のアルバムは、もはや心臓なくしては期待を持って聴くことはできず、それは結局のところ、自分が 「RUN シンドローム」 に罹患していることしか意味しない。
ここに搭載された心臓が今後どのように機能するかは、 「今後」 が積まれていかないことにはわからない。それでも心臓という力強い器官が脈を生み出していることさえわかれば、それだけでも期待の一つはクリアされたことになる。そしてそれ以外の期待も、裏切られることなくアルバムの中に詰め込まれていることは、一聴しただけで明らかになっている。 B'z にはまだ、心臓とそしてそれに支配されることを心待ちにしている肉体とを生み出す力がある。