2003年09月05日

DIVE / 坂本真綾 (1998) -真綾ノック 5/5

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2nd アルバム。坂本真綾というカテゴリを取り除いたとしても、良心的な名盤として鑑賞に堪えうるジュブナイル邦楽。ジュブナイルというのは聴き手ではなく、歌い手である坂本真綾と歌詞の世界を指しているつもり。

リリースされる真綾作品には常に期待があるからして、それゆえについ何かしらの苦言を呈してしまうことが多いのだけれども、『DIVE』 を引っ張り出して tr.1 を再生した時点で全てがどうでもよくなる。 tr.2, tr.5, tr.8, tr.11 と感涙系の名曲が多い作品ではあるものの、どれもこれも、tr.1 にある 「こちら側の夜と向う側の昼」 という大きな対比・テーマにはかなわない。

ジュブナイルエイジならではの繊細さ、危うさというのは、時に失調という形で極端に表面化してしまうものだけれども、そこに至らずとも誰もが持っているはずの、不安と希望とを一つに抱きかかえた芽が、このアルバムの色を全て決定づけているのだということに気がついた。

芽は水栽培のようなもので、水に揺られる根は、土という抵抗がない代わりに伸びる方向を見誤ることが多く、球根が支えられなければ全てが水に沈んで腐ってしまう。もちろん水が涸れてしまえば成長はない。そういった未完成・不完全な世界が、全編に渡って一つの例外もズレもなく、許されてもセピアまでという狭く、それでいて聴き手の想像に制限を加えることのない高い自由度を持つ階調の中で描かれている。色を抑えたライナーワークは、アルバムの説明には必要十分な存在だったのだな。

"juvenile" (ジュブナイル) という単語は、決してよい意味では用いられないものではあるけれども、自分の掌中に灯るその光、歳を積むとともにおおっぴらにすることが社会制約的に許されなくなるその光を愛しむ思いは、決して否定されるものではないはず。

この作品を好むという時点で、自分が抱えているモラトリアムの大きさを証明しているようなものではあるけれども、手のひらにそれを飼い続けていたいという愛しさと、そう思わせるだけの引力に自分は惹かれていたのだな。まだ数年は愛聴盤でありそうな気配。

cf.
坂本真綾 "DIVE" P:1998