Welcome to this beautiful Hi-Res World!


「2017撰」を書き終え、暇な土曜日をハイレゾ音源で潰しながらふと思った。

「あれ?自分はいつからハイレゾに関わっているんだっけ?」と。

過去ログを探っていくと、どうやらそれは2014年の頭のことらしい。となると、ハイレゾ生活を始めてから、かれこれもう5年目に突入しようとしている。なるほど確かに「ハイレゾ」という言葉はそれなりには世間に広まってきた。その再生環境を手に入れた面々も周りにポツポツと増えてきた。4年経ってようやくポツポツか、と言ったことはさておいて、「ハイレゾって本当に音楽再生に必要なものなのか?」と改めて考え直してみたい。

この4年間、ハイレゾ生活を送って分かったこと。それは、

「ハイレゾなんて、音楽再生において別に必要はない」

と言うこと。

一時は「ハイレゾでなければ、音楽ファイルに非ず」とまで思いこんでいた自分が、なぜそう思うに至ったか。それはハイレゾが必ずしも音楽再生において万能な物ではないと気がついたからだ。

メリットはある。PCやNASに保存できるのでCDのように場所を取らない。これは狭い部屋に住む人間にとっては非常に大きなメリットになる。さらにはCDよりもオーディオ的数値は上回っている。それが音質に反映されている音源も多数ある。

「多数ある」と言うことは、そうではない音源も存在することを意味している。ハイレゾ音源を聴けば聴くほど「こんなはずじゃないだろう?」と疑問を持たざるを得ない音源に遭遇することも多い。それはハイレゾ音源の数をこなせば誰もが一度はぶち当たる通過儀礼のようなもの。

問題はもう少し複雑。それは「ハイレゾは再生環境をとにかく選ぶ」と言った問題。

ハイレゾの本領を発揮させるには、単なる「ハイレゾ対応」のツールを手に入れるだけでは叶わない。かく言う自分はポータブル環境において、それをイヤというほどに痛感させられた。

SONYの中堅Walkmanでポータブルハイレゾ再生環境を歩んできた自分は、NW-ZX300を手に入れて初めて「ようやくハイレゾを真っ当に聴ける環境になったぞ」と感じた。ここまで4年。そしてさらにはバランス接続を使用することで「ハイレゾにはここまでポテンシャルがあったのか!」と気付かされた。そこまでの投資、十数万円。

ポータブルでこれなのだから、据置きオーディオでは問題はさらに複雑。機器をホイホイと買い換えるわけにはいかないオーディオ環境において、ハイレゾのポテンシャルを引き出すには、細かいレベルでの試行錯誤が求められる。

スピーカーケーブルを交換した際のドラスティックな音の変化。しかし何かが物足りない。次に電源ケーブルの配線を見直す。これまたドラスティックに音は変わる。ここまで来てようやく、自分の中でそこそこ満足の出来る環境になった。

それでもまだまだ電源ケーブルを交換したい、オーディオラックを見直したい、さらにはDACを買い換えたいと、欲は尽きない。ハイレゾはかように金食い虫なのだ。

そうこうしているうちに、Walkmanにバランス接続を導入したら「あれ?CD音質もなかなかやるじゃないか」と、時代に逆行するような発見までしてしまう始末。もうやってられない。

ハイレゾ環境を導入した。ただそれだけのことで、深い深い沼にはまり込んでしまっている自分。

確かにそれはハイレゾに限ったことではない。従来のアナログ環境だって、音を追い込めば追い込むほどに沼にハマって行ったのだろうし、CDでも同様のこと。それでも、お手軽に高音質を入手できるはずのハイレゾが、まさかここまでシビアに再生環境を選ぶとは、4年前の自分ではつゆにも思わなかっただろう。

「対応機器を買えば、即、CD以上の高音質が楽しめるのがハイレゾ!」

そんなものは単なるまやかし。ハイレゾには底の見えない沼が待ち構えている。いや、もしかするとそれは底なし沼なのかもしれない。

さらに最悪なことを最後に書き残しておく。

「CDとハイレゾの音の違いは、誰もが認識出来るものではない」

ハイレゾ世界へ入り込んできた方、ようこそ、この修羅と欲望の美しき世界へ。

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