詠む音楽

めずらしい人生

KAN (1992)

このところの自分のまゆ毛といえば、すっかりハの字型。なんか困ったような顔が張りついている気がするけれど、そのくせ鏡を見てみればさんざん見飽きたいつもの顔。 「あれ、なんだっけか?」 が独り言葉の口ぐせになっていて、その実、何を考えているわけでもない。

そう言いきれるほどに何も考えていないわけでもないけれど、だいたい同じようなことをいつも考えて、そのくせ、その都度その都度、結論は忘れているものだから、もう一度考えのスタートラインからやり直していると、

まぁ、こういうわけだ。

自分の中だけで同じことを考えていても飽きるだけだし、何よりもココロ的に不健康だから、たまには何か違うものを見つけようと飛び出してみても、いつの間にか生えずにはいられない根のようなものが影に足止めを喰らわせていて、そいつを切り離して独りで出歩くには少々リスクが過ぎて、そこそこの草の根をかじりつつ、指も時々くわえてみたりする。 So,so な日々と、早々にもとりもちの中から一抜けたしたい日々と、草々。

10 * n とやらの代とかをふり返って、積み木の一つでもたしなんでおけばよかったかしらと毎日のように思いつつも、日々の峠を上ったり下ったりしているうちの疲れにかまけたふりをして、

やっぱり考えるのはやめにしておく。

それだって、影を切り離した自分を 「あんたは正しい!」 と正当化するための下ごしらえだったりはするけど。

そうでないとやってられないのよ、正直。

真っ向勝負はなるべく遠慮して、風を受け流す柳を人生の標にしてみたりなんかして。 n+1 を目前にして、やっぱりなるべくそんなことは考えないでおきたいのよ。言いたいことはわかるけどね。でもほら、あなた一人だけでは生きられないのよ、っていろんな人がいってくれるけど実際その通りで、あなた一人だけの心づもりを信用してみるなんてことは、思った以上に難しいでしょ? 実際問題。

「あー、どうしたものかしらね」 と受け流しているだけでカウンタが進んでいくならこれほど自分的に恵まれたこともないよな、なんて思ってみたりするけれど、ほら n って 10 ステップもあるんだよね。疲れる暇もないくらいに融通が利かなくなるのは目に見えてるし。幸いにもよく眠り、よく食べてるけど、よく育つ保証はとうの昔に切れてる気がする。

そしてまた朝からハの字な気分で n を 10 で割って 365 で割って 24 で割って 60 で割って、「なんでこれってみんな同じなんだろう。こんなに違うのに」 と考えているわけ。それでいて数字を適当にまとめ上げてみれば、実のところあきれるくらいに同じが過ぎることといったら! 結局のところ、自分の中で同じということは、誰から見たって同じということだ。それってなんて、

バカらしいんだろう。

考えているうちに動くのもおっくうになるから、パネラーだって手を休めてしまう。ていのよいサボりだけれども、監督責任は自分にあるわけだから、偉そうなことが言えるわけもないし、でも甘やかしてやりたいのが人情でもあるし。そのうちに覚えておくことも面倒になって、そう、同じように同じようなところで同じようなことを考えているものだから、ふりだしに戻ってしまって、また針を飛ばして同じ言葉で茶を濁してみるという作法に落ち着くわけだよね。それを嘆くふりをして正当化してみるなんてことは、とうの昔の通過儀礼で終わってるはずなんだけれどなぁ。

まぁ、n / 10 / 365 / 24 / 60 * m くらいなら百害はないだろうし、ひょっとしたら一利くらいあるかも。

で、あれ、なんだっけか?