詠む音楽

COSMOS

BUCK-TICK (1986)

跳ぶイメージである原色を映像にしたのは誰だ。混沌としたインクが飛び交う姿、それを手にとり、体に塗り、そして、壁へと塗り込められる姿を作り上げたのは誰だ。

体を掻きむしることで狂いを描き、頭を地に叩きつけることで自らの崩壊、自虐を描き出したのは誰だ。人差し指をこめかみに押し当て、引金を空想させ、宙に砕ける頭部への憧れを引き出すのは誰だ。サイレント、沈黙が破裂の兆候であると、当然のように想像させたのは誰だ。爆発は無言のエクスプロージョン、被曝は消える鉄骨、肺へと突き抜けさせる鋼が禁忌であると思わせたのは誰だ。

落下と疾走を同等に扱い、形状を保つままにして骸 (かけら) 、薄皮から肉へと崩れさせてゆくのは誰だ。ボロボロと。

逆回転で元の形に戻ったとしても、それすらも時間のフォワードであると悟りに伏したのは誰だ。鍵盤に叩き付けられたピアノが沈む音、はじける弦 (つる) の躍動、蔦 (つた) の北面を定めたのは誰だ。くるくると舞い、三百六十度総天然色パノラマが単なるギミックでしかないと気が付かせたのは誰だ。

あの世が無限の花という色彩に塗られ、点という色が平面となり、ハリボテの大道具との差がなくなっているということに気が付かない限り、作られた掌 (てのひら) で悶える、単なる独り芝居の狂気に踊らされている。誰もが通り、誰かがそこで見ている。見ている。見ている。

見られていることが妄想であると決め付けたのは誰だ。

お前も見ているだろう。目を逸らし、自発的な類型によって関わりを断ちながらも、空 (くう) は等しくお前の中に滑り込むという事実。認めようとしないのは誰の仕業だ。囲いを打ち破ることを無駄として、張りつき黒ずんでゆこうとする血液を洗い流せば彼は救われた、と安堵に埋もれるのは誰だ。そして部屋で独り、薄刃との意思疎通 (シンクロ) 。腕に発展した象形 (アルファベット) を刻み、解読しようと躍起になるのは誰だ。舐めとり深呼吸とともにベッドに委ねて忘れるのは誰だ。

そこでも囚われるというのに。冷笑。施すのは誰だ。

飛べ。命ずるのは誰だ。