詠む音楽

COPPER BLUE

SUGAR (1988)

唐突な質問というわけではなかった。傍らで一緒に音に浸っていたはずの彼女は、僕に向き合うでもなく、音源のスピーカーへ、そうすることでより音に集中できるかのように視線を固定したまま、口を開いた。彼女といってももう、それは単なる性別の問題でしかない。

そこにいただけ−むしろそうなのかもしれない。業務連絡の確認をするだけの無機質な同僚にも似ている。無感動、むしろ無関心なのかもしれない。すべてが推量で、何一つ確信もない。だからこそ流れている音楽の歌詞にも確信が持てず、ただ、その音の雰囲気と、辛うじて聞き取れる言葉の端々から予想するしかなかった。同じように質問は唐突ではなかったのだ。予想の一環であって、予定調和の器からはみ出すこともない。

防音が施された部屋で、ただひたすらに CD を積み重ねて行くだけ。音も言葉も積もることなくひたすらに流れて行く。彼女の問い掛けに、まだ何も返していない。

  -He held her down in the river

一瞬だけ音が途絶える。つぶされんばかりに塗り重ねられたギターの隙間から、辛うじて写真の切れ端を捉えた。掴み取ることも出来ず、かといってその中に飛び込むことも出来ない。ただひたすらに、その入水の瞬間を収めた写真を−なぜそれが入水だとわかったのだろうか−厚い弦の層の、遥か高い位置から見下ろすしかない。決して当事者になることは出来ずに、何を変えることも出来ない。

  -We need to make some changes

耳に入った言葉は親しみのある言語ではなく、カタカナに変換して取り入れない限りは同化しない。常に手中にあり、定められた領域で計るしかない。真新しいことは何一つなく、予期された中で歩むだけの変化。意味を持たない、形式の言葉。

言葉のかわりに視線を左に向けた。隣にいる女性はなぜ、写真を手にしたまま正面を見つめているのだろうか。なぜ歌詞カードではなく写真なのだろうか。埋もれていた絵ではなく、あまりにも瞬間的に曖昧でしかない音は、いくら歪ませたとしても、訴えたとしてもそこに固定されたものに勝ることはない。何十回となく繰り返したディスクであっても、近づけない写真には勝てない。掴むべきもの。そのようにして満たされて行くボールに対抗しようとする、あまりにも向こう見ずな、無知ゆえの勢いを、知らずに消してしまった。転がり落ちてしまった。

落差に、瞼の安い熱。ただそれを知らせたいがために傍にある。役割を果たした彼女は、曲が終わる前に流れて行く。いつまでも財布にとどまることの無い、蒼く錆びついた 10 円銅貨のように、何も残さず、視線が決して交わることのないところへと。

次の一言で。予め決まっている一言で。

  -I see you're leaving soon, I guess you've had your fill
  -but if I can't change your mind then no one will

A GOOD IDEA
CHANGES
IF I CAN'T CHANGE YOUR MIND -SUGAR (Bob Mould) 1992